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自分の見ている世界は真実とは限らない、真実ではなくてもいい

東田直樹さんの本を2冊読んで
自分の価値観に
改めてハテナを投げかけている。

会話のできない重度の自閉症である彼が
本を書いてくれてることによって
"自閉症の彼らが
自分とは全然違う世界を見ている可能性"
が浮上したからだ。

最も印象的なことは
東田さんは
幼い頃に
自身を人間ではなく自然の一部だと思っていたこと。
壊れたロボットを操縦しているような感覚でいること。

それは私にはとてもショッキングだった。
そうとは知らずに彼らと接してきた自分。

それと同時に
自分の見ている世界の不確実さというのも
感じざるを得ない。

見慣れた世界も
もう一度0に戻って見直してみたら
全然違うかもしれないと
考え始めている。

どれが真実かなんて
本当は
誰も最後までわからない。
自分の見ている世界しか
誰しも本当に見ることはできないから。

東田さんの見ている世界
私が見ている世界
私の隣にいる自閉症の人が見ている世界。
どれも真実だし
真実じゃなくてもいい。

私たちの多くは
連続的な時間の軸を信じて
その概念の中で記憶を蓄積させている。
でもおそらく
自閉症の彼らの記憶は連続的ではなく
ランダムにしまわれている。
年代別に並んでいない。
何かの拍子に
昔の記憶がパッと出てきたりする。

それを知ってから
自閉症の人と一緒にいるとき
ジェットコースターに乗っているような
ドキドキワクワクでいっぱいになった。

隣に立って
心の足並みを揃える気持ちになってみる。
不思議だけど
嘘みたいだけど
そうすると私にも少しはわかる。
おすそわけしてもらって
感じることができる。
彼らが規則正しく大切にしているルーティンの中に
見え隠れする
思ってもみなかったようなドラマ。
それは見た目には小さな出来事で
遠くから見ている人にはわからない。
隣にそっと座ってしばらく過ごしてみた人だけにしか。

そういう時間を通して
会話というのは
時には感じることを邪魔していて
ない方が得られることもあるものだと
最近は思っている。

空に手をかざしてヒラヒラさせたり
湯船に浸かって色んなやり方でお湯に触れる姿。
風と歩く、水と遊ぶ、突然笑い出す、
そんな彼らの気持ち。
それを一緒に感じないで
唯の子供じみた遊びと決めつけて
遠巻きに見ているだけの支援者は
すごく楽しいことを一つ見逃してしまっていると思う。

ラッキーにも"突然笑い出す"に
便乗?
いや
飛行機に一緒に乗るみたいに同乗できたときは
暖かい春の風にフワッと吹かれてしまいたいような
なんとも言えない幸せな気持ちになるものだ。

私が今1番会いたい人
それは東田直樹さん。

13歳のとき初めての著書
「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」を執筆した
作家の東田さん。
会話のできない重度の自閉症である。

その本は
翻訳されて世界30カ国以上で読まれ
ベストセラーになった。
ドキュメンタリー映画化もされ
今年4月に公開される。

私は宝箱を開けるような気持ちで
その映画をすごく楽しみにしている。

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