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恐竜のたまご

雨上がりの気温がぐっと落ちた日に、アレグアを出てコロニア・インディペンデンシアというところにやって来た。「トランキーロ(静かで穏やかな様子)」というのにぴったりな場所で、車も人も、牛も犬もニワトリも、みな同じ道を行く。そんな静かな道を歩いて昨日は小さな滝を見に行った。今年は雨が少ないらしく滝と言っても勢いはない。そこだけスコールのような本当に少量の水が、かろうじて上と下とをつないでいる。裏側の窪みに座ると、水しぶきが届いて気持ちがいい。

長い帰り道、暑いので木陰に座って牛を眺めた。艶やかな皮膚にあばら骨がうっすらと浮かぶ。角もちゃんと残っていて、ここの牛はとても野性的だと思った。ノートと鉛筆を取り出して描き出す。小学生のころ「絵を描く会」という行事があった。皆で牛を描いたのを思い出して、いまここでこうしてまた牛を描いていることになんだかおもしろい。牛は動かないようでよく動くので私も牛とともに歩き回って、そんな私を牛も時々じっと見る。そうこうしているとついつい木陰から出てしまいクラリと来たところに車が止まった。見ると先ほど滝のところでツアー客を連れていたガイドの女性で、「乗ってく?」と言うのでありがたく乗せてもらった。この辺りの人たちはみな顔見知りで、同じ観光業と言うこともあり彼女と宿主ももちろん知り合いなのだ。

夕方、庭で涼んでいると子供がピンクの卵をもってやって来る。半透明で中は空だが彼女曰く「恐竜の卵」らしい。ここで遊ぶと決めたようで、いろいろと小道具を持って戻ってきた。

宿は小さな雑貨店も商っていて、絶えず人が立ち寄っては鉄格子の窓越しにパンや飲み物なんかを買って去っていく。ニワトリを引っ提げて自転車をこぐ若い女性が買い物に止まった。彼女の片手から逆さまになったニワトリをじっと見ていると、宙づりの長い首がクイと持ち上がる。まだ生きている。買い物を終えて自転車に戻る女性に首を起こして抗議するニワトリ。くれぐれも気を付けるようにと託された恐竜の卵を守りながら、このニワトリの運命が頭の中でぐるぐると周る。ここの家にニワトリはいないが、近所のそれが絶えず庭を横切って、犬とけんかしている。この辺りはまだまだ、生と死が疎遠でなく希薄でない。

後ろでは4歳になる少女が私には見えない恐竜の両親をなにか熱心に説得している。一度興奮の末飲み物を倒したのだが、丁寧に拭いて彼らの説得に戻っていった。4人の兄弟を持つ彼女は、自宅からも近い祖母の営むこの宿で静かに寝泊まりするのが好きらしい。おばあちゃんに「もう寝たほうがいいんじゃない?」と言われると、「そうね、もう休まないとね」と言ってひとり寝室に去っていった。よほどうるさい家に暮らしているのか、どこかで聞いてきた誰かのセリフをモットーにもう将来計画をしている。

[Soltero y com plata, una forma de ser.] 

(独身でお金持ち。そんな生き方もあるじゃない。)

すごい4歳。独身の意味を知っているかはともかく、これから彼女はニワトリの絞め方もここできっちりと学んで、色んな物事を自分で決めていくのだろう。

人って案外勝手に育っていくもんだと、ひとり寝室へ向かう彼女の背中を見つめて久しぶりにそう思った。

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