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絶対に今じゃないタイミングで会社を辞めました

Kotaro Nakamoto / 株式会社グラフ CTO

こんにちは。中本です。

タイトルで申し上げている通りですが、この度、3年間お世話になった 株式会社SUPER STUDIO を、2021年8月末付けで退職することにいたしました。

その結論に至るまでの背景と、「どうして絶頂期の会社を辞める選択をしたのか」についての理由を説明できればと思います。

前置き

背景を語る前に言っておかなければならないことがあります。

それは、SUPER STUDIOという会社は最高ということです。

誰にも忖度なしに言いました。

これは事実であり、これからも変わりません。

もしSUPER STUDIOに入社したいと考えている候補者の方がこれを読んでいるのだとしたら、ぜひこの記事を最後まで読んでから、面接に挑んでいただきたいと思います。絶対に会社を好きになってくれると、そう信じています。

SUPER STUDIOとの出会い

SUPER STUDIOを出ていく背景をお伝えするためには、どうして入ったのかを説明しなければなりません。しばしお付き合いください。

SUPER STUDIOを出会う前、私は都内の薬学系大学院に通っていました。といっても、大学院での研究生活が肌に合わず、すでに半分休学状態で過ごしていました。

特段やりたいことがあるわけではない。でも楽しいと感じることはありました。それは「自分が想像したものを作ること」。これに関しては小さい頃から大好きでした。

時間だけは余るほどあったため、まるで小学生の夏休みのように、毎日自分の作りたいと思うものに没頭していました。

その過程でハマったのが、プログラミングでした。

プログラミングをしている時間は最高に楽しい!と思えました。

「もっとこの見た目を良くしたい」「こんな機能を作りたい」

頭にイメージができたらそれをすぐに再現できる。まるでLEGOを組み立てているような気分。こんな仕事があればいいなと漠然に思うようになりました。

そんなある日、以前、アメリカ留学の前にアドバイスをもらうために一度だけ会ったことのある方とご飯に行くことになりました。

久々にお会いして、はじめてその方がエンジニアであることを知りました。

まさしく、私が漠然と憧れていた職業でした。

私はそれを知って、今までにないくらい興奮しました。

私がその日何を伝えたかははっきり覚えていません。

ただ、とにかく一秒でも早く同じように働きたい!そう強く思い、エンジニアになりたいという熱い気持ちを本気でぶつけていた気がします。

その結果、若さゆえの熱意が伝わり、その方が勤めている会社である SUPER STUDIO での面談が決まり、そのままエンジニアインターンとして働けることが決まりました。

これが決まってから私は、本当に死に物狂いで働きました。

私を信じてくれて、会社を紹介してくれた方に恩返しができるように、ただただがむしゃらに働きました。

とはいえ、働いている感覚はありませんでした。

正確には、その仕事に熱中していました。夢中でした。

こんなに楽しい仕事があるのか、と本当に感動しながら働いていました。

そんなふうに働く私を、会社はさらに認めてくれました。

そして、この会社への新卒入社が決まった2019年春、私は大学院を正式に中退し、この会社でファーストキャリアを歩むことに決めました。

SUPER STUDIO という会社

入社当時から思うことは、「この会社は良い人しかいない」ということです。

「良い人」というのは、もちろん人によって解釈が異なるので一概に説明はできませんが、少なくとも私が思うのは、「一緒に働きたいと思える人」がこの会社に多いということです。

私もそうですが、SUPER STUDIOはリファラル採用で入った方が多いです。規模が大きくなった今でもリファラル採用の文化は残り続けています。

リファラル採用は誰かの紹介で採用につなげるものなので、そもそもその「誰か」が信頼できない限り採用されません。

そんな「信頼」に基づく採用を徹底してやってきたことで、リファラル採用経由ではない方でも、「信頼」できるかどうかを大事にしているのではないかと思います。

会社が「何をやるかではなく、誰とやるかが重要」と明言していることからも非常に「人」を大事にしていることがわかります。(会社の成り立ちについての詳細はこちら↓の記事をご覧ください。)

私の話に戻りますが、新卒で入社した後もがむしゃらに働くなかで、やはり人の良さを感じない日はありませんでした。

そして私自身も、みんなから信頼できる人間になるために、一生懸命頑張り、困っている人がいれば助け、会社のためになることを常に考えて行動することを意識してきました。

そうみんなが意識しているからこそ、会社全体で高いパフォーマンスが出て、信じられないスピードで急拡大するビジネスを支えられてきたのではないかと思っています。

辞めるまでの経緯

ではどうして、こんなにも最高な会社を辞める決断をしたのか。

短刀直入に言うと、「SUPER STUDIOが最高な会社すぎた」からです。

私はこれまでの三年間で幸運にもたくさんの経験を得ることができました。

例えば、新卒一年目から自社メディアサイトの新規立ち上げを開発責任者兼PMという形でやらせていただいたり、新卒二年目の段階で主力サービスである「ecforce」の開発チームリーダーを任せていただいたり、エンジニア新卒採用を戦略作りから携わらせていただいたり、従業員代表を1年間以上やらせていただいたり、、、挙げ出すとキリがありません。

ですが、こんなにたくさんの経験が得られたのは、いうまでもなくみなさんのおかげでしかないことをずっと感じてきました。

自社メディアサイトの立ち上げに携われたのも当時会社が40名規模だった頃にCOOから直接任命されたおかげですし、開発チームリーダーになれたのも私を信頼してくださった上司のおかげですし、そもそもこの会社に入れたきっかけも、紹介してくださった方のおかげでした。

そんな仲間と幸運にずっと身を任せてきた私に何が残るのか、正直不安でした。

そんなふうに思っていたときに、27歳の誕生日を迎えました。

齢30まで、三年。

この残されたタイムリミットが私を再び奮い立たせてしまいました。

「30までに、あともう一回人生が変わるほどの成長がしたい。」

「そのためには、この最高な環境から飛び出すしかない。」

そう、心が叫んだ気がしました。

気づいたときには、もうすでに辞める決意をしていました。

どうして今なのか

どうしてこんなタイミングなのか、会う人全員に聞かれました。

会社は右肩上がりの急成長、人も良いし、リーダーというポジションもある。普通に考えたら、絶対に今やめるべきではない。

しかし、私の心の中では「今しかない」タイミングでした。

本当に贅沢で、傲慢で、意味がわかりませんが、今しか選択肢はありませんでした。

30歳まで残り三年。

もちろん、今の会社でも成長はできる。しかしそれは、良い環境に甘んじながら得られる成長。

人生を変える成長がしたいなら、何もない状態に飛び込むのが一番だ。

このことは、今までずっとそうやって生きてきた自分自身が一番理解していました。

そう思い、清水の舞台から飛び降りる決断をしました。

これから

SUPER STUDIO で働けたことも、私にとって人生が変わるほどの成長を与えてくれたのは間違いありません。

その御恩と、今までお世話になった全ての方々への感謝に、辞める選択をしてまで報いるためには、本当にもう一度人生を変えるほどの成長をするしかありません。

そこで、私が次のステージに選んだのは、創業一年未満のスタートアップ でした。

会社経営を責務とする立場にもなるので、間違いなく成長できる。

しかし今度は、自分の成長だけではなく、会社の成長にも責任を負わなければならない。

それをしっかり自覚した上で、次の会社で新たな一歩を踏み出していこうと思います。

最後に

最後まで読んでいただきありがとうございました。

最初から最後まで、SUPER STUDIOが最高だということを言い続けました。もちろん、心の底からそう思います。

この記事も、本当は辞める人が書いていいはずはありませんが、心の広い SUPER STUDIO が許可してくださいました。本当にありがとうございます。

もし、少しでもSUPER STUDIOに興味を持っていただいた方、人生を変えるほどの成長がしたいと思う方がいらっしゃいましたら、ぜひ、SUPER STUDIO の門戸を叩いていただけると幸いです。

これからも、超絶急成長中のEC SaaS であるSUPER STUDIOを応援し続けますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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Kotaro Nakamoto / 株式会社グラフ CTO
株式会社グラフ CTO|営業組織を改革するセールスイネーブルメントツール「GRAPH」の開発をしています|慶應義塾大学薬学部 → 米留学 → 株式会社SUPER STUDIO → 株式会社グラフ|笑顔全開でお送りします💪