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本気になれない者たちへ

自分のことしゃべりたいと思うくせに
自分と向き合うのってめんどくさいよなあ

そう考えるようになったきっかけは
ほかでもない、就活だ。

noteの更新数回目にして
大学3年生になってしまった。

映画館のアルバイトはだいぶ前にやめたし
そのあといくつかバイトしてはやめた。

サークルも一番忙しい2年生が過ぎ、
一応新歓の偉い人もやったりなんかして
ついに就活をする順番が来てしまった。

就活でESを書いててとことん思う。
大学生活のほとんどを占めた学園祭実行委員は
ほとんど書けない。
頑張ったし、
成果も上げたし、
いろいろ考えたし、
すごく成長もできた。

でも、ESに書けるのは1項目までらしい。
いろんな面を見せなきゃいけないからね。
そうなると、ガクチカなるものを考えなければならない。

仕方がないから
わたしの生涯を振り返ろう。

幼稚園小学校、
まあ自我もなく何も考えずに過ごす。
中学受験、
姉の後を追い、あっけらかんと中高一貫校へ。
陸上部に入部、
短距離中距離ハードル高跳び、
いろんなのに挑戦しては結果が出ず諦める。
中学キャプテンから部長までやったけど、
やりたくてやった訳じゃない、
ほかにやる人がいなかったから。
大学受験、
結構かなり頑張ったけど、
多くの人が経験してるからエピソードとしてつまらない。

振り返っても
本気で何か頑張った経験が思い浮かばない。
先生に怒られたくなかったし、
本気で取り組みたいこともなかったし、
どうせこうなるんだろうなっていう
予定説みたいなものが自分の中にあった。

そうしている間に学生が終わろうとしてる。
2年後には社会人だ。

社会人になってからが人生の本番だ
なんて思ってたけど、
もっと遊んでおけばよかったなとも思う。
(これから遊べよって反論は受け付ける)

キャリアウーマンになってバリバリ働くんだ!
ドラマつくるんだ!!
なんて意気込んでたけど、無理かもしれない。

ドラマは見たいし、
映画も舞台もミュージカルも見たい。
推しのライブには行きたいし、
フェスにだって行きたい。

ドラマをつくるなら
人間として味わえる感情をできるだけたくさん味わっておこう!
と、いろんなことをそれなりにしてきたのが仇になった。
1つのことを本気でやった経験はないのに、
いろんなことをやれる生活を手放したくない。
社会人になったら、いろんな経験ができる場がなくなるかもしれない。
もちろんそんな場は自分次第でどうにでもなると分かっている。
でも結局わたしは何がしたくて何をしてきたのかわからない。
自己目的化とはこのことだ。
目的のための手段だったことが
いつのまにか目的になってしまった。

自分がやるしかないこと、
ほかにやりたがる人がいないこと、
役割的にわたしだろうなってこと、
そんなことをやり続けてここまで来た。
何事もドラマをつくる上で大切な感情だと思ってきた。
自分から何かしたいと思ったことがあっただろうか。
あった。それはたしかにあった。
でも、うまくいかなかった。
自分がやりたいことより、人に望まれてやることの方がうまくいく。

21年生きてきたんだから
1つくらい本気でやったことがあったろうと思うけど、
大体反省ばっかだし、
もっとやれたんじゃないかって思うし、
過去の栄光にしたくない。

そんなこんなで深夜までガクチカ考えてます。

結局就活までこの調子でやったら
わたしってほんと何を本気でやってきたんだろうね
何も本気でやってない自分が情けなくなる

ただ自信がないだけかもしれないけど、
自信って努力しなきゃ付かないって誰かが言ってた。
ってことは努力が足りないんだ。
自信を持てるように努力しなきゃいけないんだ。

同じように本気になったことない人いたら
一緒に本気になれるもの探そうね

ところで、本気ってなんだろね。

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