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彷徨うおっさん69 少子化の世を生きる考え(6/7) まず親が幸せに自己実現せよ 身を削ってまで親の夢を子供に託すな

 前回は、これから歳を取っていくおっさん達(40代ぐらいかな)が、少子化をどうとらえたらいいかについておっさんが述べた、概要的私見の①~③のうち、③子供との向き合い方が振れた結果、生きづらくなっている現実を知るべし について、詳述した。
 今回はその続きとして、無理をすると子供も親も不幸になるという話と、実際頑張ってもこんなもんだよという、少々枠組みを抜けて楽観的になってもらいたいという話、そして未来ある子供にトラウマを残してもらいたくないという話を述べたい。

<少子化の要因である教育に係る費用の増大というジレンマから抜ける 続き>


 お金、人手、精神面でのリソースが足りない多くの一般家庭において、エリートくずれになることを目指した生き方を続けると、ややもすると色々なものが犠牲になる。

 現に(女性の権利を主張しつつ)お父さんのお小遣い・自由時間・仕事の選択の幅などを削りに削ることで対応している家庭はすでに多い。そしてまず、お父さんが潰れてしまっているとよく聞く。

 それでも足りない家庭は、今度はお母さんが同様に自分の人生の全てを削っている。あるいは子供を奨学金などで借金漬けにしてしまっている。


 それでも子供さえ。。。と思うかもしれない。
 立派な心掛けと言いたいところだが、おっさんが思うに、以下の点で明らかに不健全である。

 賢明な男女なら分かる理屈と思うが、そうまでしてフルスロットルで子供のためにと言い聞かせ、旧時代の価値観を踏襲し続けるのか? 冷静に考えればリスクも大きいだろう。ある程度まで諦めた方が良いと思うのだが。。。

 現在結婚を選べなかった人の一部には、こうした風潮を危惧して独身を選んだ部分もあった。
 現に結婚して、子供ができて、上記のような無理をしている人は、多分いろいろ考えていて賢いのだとは思うが。。。

ならばもう一段冷静になって、現実を整理してもらいたいとも思う。


<楽観視はできずとも、現実はそんなもんと肩の力を抜いてはどうか>


 そこそこの学校の、大学どころか大学院まで出たとしても、高卒と同じ職場で肩を並べ、ネジ締め作業や、ルーティーンの事務作業をする人も案外多い。
 加えて実作業ではむしろ、高卒の方が有能で人当たりも良く、大卒は頭をかいて誤魔化すばかりだったりする。 

おっさんこと著者もそんな冴えない大学院卒の一人である。


 また、就職に有利は有利でも、所謂「ガチャ」は多数存在し、特にサラリーマンならば思うようにいかない事の方が当たり前ではなかろうか。
 そんな状況では、中途半端な学歴や、浮ついたエリート意識はむしろ脆さになる。

学歴に関係ない人間力こそが、次の時代は物を言うだろう。


 また、学歴に関わらず、結局はみ出した人を見ると、自立していない、問題を抱えたといった落伍者がやはり多いようにも思う(たまに、苛烈な成功者もいるがごく一部である)。
 確かに統計上や求人条件を見ると、大卒以上の方が、初任給も正社員総合職の率も高いが、そのために苦労したところで、結局人間がダメなら落伍者になる。

超有名校・難関校ならまだしも、平凡な学校出身では、単に大卒だったとして、人間的に未熟な人が、今後果たしてどこまで通用するだろうか? 


 まだまだ求人や新人の要件に大卒がつく時代ではあるものの、政策などでそれが取れてしまう可能性もある。すると徐々に価値観が崩れる様に思う。

 更に付け加えれば、子の能力は、親を大きく超えることはあまりないように思う。親が身の丈を弁えずもがいて不幸なら、子供ももがいて大概不幸だ。変な夢を見たり、子供への過剰要求、過剰投資をするより、肩の力を抜きつつ、まずは親が率先して自分の人生を追求し、子供がそれに続くようにしたら良い。
 
 よくある不機嫌な親の日常を思い浮かべると。。。高いお金を払って子供に習い事をさせ、送り迎えに半日浪費し、お弁当も作り、それを残されたり忘れたりすると真っ赤になって怒り、帰ってきたら習慣だとか意識付けだとか雑で微妙なアドバイスをし、半端な気持ちで子供の習い事内容にグダグダ意見し、うまく行ったら上機嫌で小遣いなんかあげたりして。。。

 それが親の意図した結果(いい学校やいい就職先で安定して活躍)のプロットかと言うと。。。違う気がするがどうだろうか?


<世代間で繰り返す滑稽なトラウマの連鎖を断て>


 多くの人達の思い出の中に、嫌だった習い事の経験、全く身についていないスキルの修練の日々、それらに伴う親の嫌味や叱責、または調子に乗った意味不明な態度や接し方などがあると思う。

 逆に親の意向で選べなかった道、押し付けられた夢、トラウマの原因となった、何かを強要(または禁止)された思い出、信じ込まされた偏った思想などなどもあると思う(ない人は羨ましい)。

 親は親なりにその時その時の考えや、想いがあった事実は完全に否定はしない。だが今は不確かな時代に突入している。過去に縋り、挙句後で子供に刺されたら目も当てられない。

 親として今昔問わず普遍的に子供にできることは、職業訓練指導の例のように「独立して生きる力を育むこと」だと繰り返し述べたい。

 現代は親も子も、一体何を目指して何と戦っているんだという状態だと思う。習い事や進路について親の影響はあるにしても、もう少し世の風潮に疑問を持って、程々にしてはどうかとおっさんは思う。

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