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窓際のおっさん35 組織人なら躊躇なく派閥に属せ(前編) 派閥(組織内に存在するグループ集団)自体は悪ではない

 会社組織で何かを成そうと考えた場合、単独で行動しても成就することは難しい。単独でも何も投じないよりはマシだが、その思いの多くは成就しないばかりか、消化不良で想いの成仏すらできない。やはり、徒党を組んだり、影響力のある人間に近づく必要はどうしてもある。

 また、組織の構成員として大した要望もビジョンもないのだとしても、

「自分はどの派閥にも所属しませんから」

 などと、臭いセリフを言ってつっぱっても嫌われるのが関の山である。ならば長いものにでも巻かれていたほうが安泰である。

 いずれにしても組織人ならば派閥について、反射的に避けるのではなく、一旦は冷静に捉えなおした方が良いと思う。

 今回は、そうした組織の派閥について、おっさんの体験を交えながら考察する。

<派閥は組織に影響するための第一歩>


いきなりだがおっさんの体験談を話す。

過去の役所での活動の話。

 役所には自主研修グループという、職員が自分で手を挙げて研修グループを作って学習・研修する制度がある。色々と模索した挙句、おっさんもドローンのグループを作って活動しようとした。

 活動を開始して、初めは仕事終わりに、会議室をチマチマと借りて操縦練習をしたり、法規の講義をするなどして活動していたのだが、次第に庁舎の管理者が難色を示したり、心ない職員から苦情を貰うようにもなった。

 また、コロナ対策や議会対応などで、お気に入りの会議室(トイドローンを十分操れるスペース)が使えなくなってしまい、活動は先細りとなった。

 こうした状況で、一応2年ちょっと、形だけは続けたのだが、毎度民間で開催するドローンサッカーの大会や、ドローン関連の展示会に、単独か、せいぜい二人ぐらいで参加する状況だけになり、人も集まらないため、活動を断念していた。

 その一連の厳しい活動の中で、何とか継続を模索するため、自主研修グループを統括する人材育成課に「ドローンを練習するための定期的に活動できる場所の確保ができないか」と提案を試みたことがある。

 最初は横のつながりが無かったので「市長宛の嘆願書」という形式で一応の一石を投じようとしたが、流石に望み薄であるとも思い、その嘆願書を(案)として、別の自主研修グループに、一緒に提案しないかと呼びかけることにした。

 別のグループの職員は、おっさんの嘆願書の(案)を見るなり「過激すぎて賛同できない」「このようなやり方では通用しない」「ウチは必要ない」と、厳しい意見だった。だが同時に「ウチがバックアップするから、まずはアンケートなどで各自主研修グループの要望を拾って、ニーズの確認をしよう」といった、前向きな動きにもなった。 

 やはり組織に相対するには組織を持ってである。一派閥に助けを求めることで、一人では嘆願書による特攻がせいぜいだった状況だったが、おかげで、人材育成課相手に話し合いの場を設けるまで漕ぎ着けることができた。


 アンケート案を持ち込んで会談を重ね、結局定期的に活動できる場所の確保は制度上難しく、おっさんは活動そのものを断念することになった。
 だがそれでも、人材育成課との会合の場が持てたこと、おっさんの希望こそ潰えたが、アンケートで拾った情報で新たに判明した事実や、自主研修グループ同士の連携拡大の可能性が見えてきた。

 今回おっさんが相談を持ち掛けた派閥(別の自主研修グループ)は、活動実績も人数も大きく、影響力があり、ずうずうしくも利用することにはなってしまったが、それでもたった一人で嘆願書を持って特攻をかけるより、はるかに得るものもあり、色々なグループに影響することもできた。 

 結果はどうあれ、自身の言葉が、影響力のある派閥を通じて、組織に作用する第一歩となったのである。


<派閥は悪いことなのか?>



 本件に協力してくれた自主研修グループを「派閥」と呼んでしまうと、イメージとして「そんな汚いもんじゃないよ」と苦い顔をされるかもしれない。だがそれは派閥を悪いものと決めつける空気があるからのように思う。

 結局のところ何かを成すためにはより大きく、影響力のある「グループ」に所属、或いは協力を取り付けて、対抗していく必要があったのはお読みいただいたとおりである。

 なれば派閥そのものは悪だと仮定するとしても「必要悪」ではないだろうか。

 また、三人集まれば派閥ができるという言葉がある。派閥は三人から派閥と呼ぶのか?

 いや、そうではない。3人が2対1に分かれて派閥を形成するという意味である。たった三人で派閥に分かれるのだから、組織とは常に一枚岩でいられないという真理を表した言葉である。

 つまり組織人である以上派閥と関わるのは宿命とも言え、「必要悪」どころか、むしろ良し悪しの問題とすることすら論点ズレのようにも思う。

「派閥なんて煩わしくて御免だ」「派閥を作って争うなんて不毛だ」などと言う言葉は、いつの時代でもよく聞く。

確かに個人的にも全く持ってその通りだとは思う。

 どっちに着くか選べ、と、身の振り方を強要されたり。

 仕事のためではなく他者の失脚や自身の勢力拡大のために奔走させられたり。

 そうでなくともつながりを維持するための飲み会や定期的な会合等への参加、勧誘活動などを担うことは確実である。

 派閥ならではではあるが、どっぷりハマるとこう言ったものは本当に草臥れる。そうした煩わしさや生臭さがあるのは確かで、それを単純解釈して「悪」と言ってしまうのも、気持ちとしては分からないでもない。

次回に続く

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