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窓際のおっさん56 部下とは思い通りにならない手足である(7/7) 部下が分からないのは当たり前 結局は基本的な人間関係

 前回は、部下へのケアは必要だが、理解には限界があると述べた。また、部下と分かり合えなくてつまずく箇所について3つ述べ、そのうちの①について詳述し、期待を一段下げるべしと述べた。
 今回は②、③の詳述をし、最後に、部下との関係も多くは一般的な人間関係と変わらない点について述べ、本稿を締めくくりたい。

②苦情をぶつけてくるのか文句を言ってくるのか。

 苦情と文句の区別を最低限つけられれば、煩わしさの半分はなくなるだろう。文句は簡単で、ムキになって正しさを伝えてくる上司の話をしたが、そういう人の言動が文句そのものである。
 「耐えられません」「どうしても無理です」「苦情が出てます」などと言ってくるようならば概ねは苦情である。自身の方針の改善を含めて、訊くべきところが大いにある。
 
 昨今は心理的安全性の重要さが説かれるようになったが、苦情を意見として冷静に受け、対処し、改善に向かわせるスタンスであれば、むしろ苦情だって力になるのだから欲しいとすら思える筈である。

 ところが、案外それができない人がいる。おっさんの体験を話す。

 ある上司が、小部屋におっさんを呼び出した。この上司が、当年度、追加で外部仕事を受注したことで、チームに不満や問題が生じていたのだが、その仕事を続けるべきかどうかおっさんに質問してきた。

  おっさんは

 「やりたいというお気持ちは分かるが、同意しかねる。苦情も出始めているので、方針転換なら今だ」

 と、良い機会なのでありのままを忠告したのだが、その上司は、自身のスタンスがいかに正しいか議論展開をしはじめた。

 事実苦情が出ていることと、係内リソースが既にカツカツであることを付け加えて話したが、議論展開が終わる気配がない。
 
 おっさんはついにうんざりして

 「それ、私が上司さんのスタンスを認める前提で話してませんか? 理解を求めるのであれば今からもっと何人かに話して、ちゃんとお願いしたらいいんじゃないですか?」

 と提案した。ちょっとストレート過ぎたが、それでもまだ上司は、自身の正しさを主張し続けたので

 「正しいかどうかではなくて、結局皆にお願いするしかないと思いますよ。
 仮に私が上司さんの理屈に同意したとして片棒担がされても、それでは苦情は止まらないし、係も回りませんよ?」

 とやや辛らつに述べた。

 「それを説得するのが主査だろう」

 という返す係長だったが

 「じゃあ係長も同格なのでお手本をお願いしますよ。それに苦情貰ってるのは係長であって、私は反対意見なんですけど? どう説得するんですか?」

 ここで係長は言葉を失い、話し合いはなんとか終了した。

 このように、苦情そのものをチャンスにできないのは好ましくない。

 こんな極端な人はあまりいないだろうが。苦情を全て文句のように捉えて嫌がっていては、力に変えるどころではない。

繰り返すが、部下と価値観が合わないのは当たり前のことである。


 だが、価値観が異なっていても、その人からの苦情が改善やその後の協力関係になると信じられれば、それで良い。
 文句は避けても、苦情とは向き合い、素直に全員と対話できるかどうかが、部下を上手に使うコツでもある。


 ③何を考えているのか分からないと思ったら、分からなくていいのではないだろうか。
  色々な書き物で「部下を理解することが大事」と書かれているのだが、それが色々な誤解を生んでいるように思う。
 曰く、部下個々の事情を考慮すべし。曰く、共感すべし。曰くコミュニケーションを取るべし。
 非常に簡単で分かりやすく、概ね間違っても居ないのだが、この教えは表面だけだと形式に走りやすく、無用過剰な理解を図ろうと失敗するように思う。

  例えば最近は共感が大事と言われることが多い。おっさんのnoteでも繰り返し批判しているが、人間必ずしも共感の必要性はない。
 理解と配慮は必要であるが、同じ気持ちであること、納得感を絶対とするのは誤りである。

  また、コミュニケーションと称して、飲み会やプライベートに踏み込む行為は好ましくない。また、仕事の範囲に留まるにしても、不毛なミーティングを繰り返す人がいると述べたように、無理に形だけの場を作って理解を促進しようとしても、うまく行かない。

  人間は一般的に得体が知れないものであるとの認識を持たなければ、分かり合わなければいけないというバイアスに苦しめられ、かえって人間関係が荒れてうまく行かない。

 よっておっさんはあえて、今までの論考と真逆のことを言うようだが、分からなくていいと再定義した方がいいといつも主張している。
 
 分からないものを無理に分かろうとするから、分からないことに、上司も部下もイライラするのである。それに納得感は大事だが、真っ当で安全な仕事の遂行を優先すれば、納得は後からついてくるものでもある。分かり合うことを絶対視して無理をしてはならない。

<結局は一般的な人間関係と変わるところはない>


  全7回で部下は思い通りにならない手足と題して論考を述べてきた。一般的なコミュニケーションに問題が無い人は、概ね読むまでもないことばかりだとは思う
(紹介した極端で滑稽な事例は面白いと思うけど)。
 また、職位など、会社内での部下の立場の話をしたが、それらを正確に把握していれば、一般的なコミュニケーションの延長・応用として、人も組織も活かせるように思う(これもちゃんとした人には言うまでもない話だろう)。

 近年は管理職が罰ゲーム化していると1回目の冒頭でも述べたが、本稿を通じて、概ね「人間、思い通りにならないのが当たり前」と捉え、読者が気を張らず、良いチームが作れるようになっていただければ幸いと思う所である。

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