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彷徨うおっさん65 少子化の世を生きる考え(2/7) 今後社会はどうなっていくか 子供とどう向き合うか

 前回は、少子化の要因について概要を述べ、少子化の良し悪しについて、個人と国家とでどのような見解になるのか、おっさんの考察を述べた。
 今回は、これから歳を取っていくおっさん達(40代ぐらいかな)が、少子化をどうとらえたらいいかについて、おっさんの概要的な私見を述べたい。

<①直ぐに解決する問題ではないと知るべし>

 
 要因分析をすると、1970年代からの半世紀(もしかしたらそれ以前から)に渡る、様々な根深い事実の積み重ねがあると分かる。よって一筋縄では行かず、今生きている人は、日本の少子化解消を見届けるどころか、兆しを見ることすら困難な程、長い時間がかかるように思う。

 今はせいぜい「遠い未来に再び、日本の人口増加をもたらすための苗を植える」ぐらいしかできないだろう。

 また、苗を植えるにしても、同時にこれまでに積み重ねていった自由主義社会による良い面もまた取込み、見直しつつ発展させる必要が現実的にあるようにも思う。若い世代にも若い世代なりのサバイバルと未来構築が求められると思うが、そこにつなげることを考えた現役のおっさん達は、上記現実を考慮しつつ、生き方を考えなければと思う。

 完全に昔に戻っても仕方がないが、自由主義で切り捨てられた価値観の一部や、大昔から普遍的な何かを拾っておきたい。それらを辛うじて知る世代にしかできない仕事である。そして若い人と一緒に良い所を抽出して煮詰めるという作業があるように思う。その小さなトライを続けつつじっくりと答えを出そうとするのが、スタンスとして最良とおっさんは信じる。 

但し、何度も言うが時間がかかるので、所謂、現世利益的発想ではできない作業でもある。現世で成功者になった人や、その信奉者は、恐らく苦しいし拒否感があるだろう。だが逆に、そこそこで達観した人にとっては、この上なくやりがいもあり、マイペースにできる最良の作業かもしれないとおっさんは考えている。


<②嘆くだけのムーブは止めるべし>


 過去に国家運営してきた先人や、自分たちの親の在り様について怒り、少子化そのものをただ嘆くだけというのも大して役に立たない。

 歴史を見る限り、柔軟な国家運営は恐らく誰がやっても非常に困難で、失敗も多く、現在と未来において非難も沢山浴びることになると思う。
 己が平凡であるならば、政治とはそういうものだともっと冷静に捉えて、少子化を政治責任としてグズグズいうだけで終わらず、過去の要因と未来の(最悪の)想定について学び、俯瞰して捉えることが、一人一人にとってより重要になる時代と思う。

 政界に出て自分が改革しようというなら、政治批判も大いに良いけど。

<③子供との向き合い方が振れた結果、生きづらくなっている現実を知るべし>


 明治以前の大昔は、7歳までは神のうちなどと言われたり、子供は一族を存続させるために作られるといった、ある意味人権がなかった時代もあった。
 ところが現代は、子供を大事にするのは良いけども、なにやら子供の扱いが、真逆に大きく振れ始めてきたように思う。

 妙に過保護、個性重視を誤って奉じる、平凡な親が我が子を特別な何かに育てようと志向しすぎる。社会という別側面からは、子供に同調と平和主義を押し付けつつも、ある意味真逆の、戦争のように辛い、学歴闘争や経済闘争の過酷な競争の渦中に投じる矛盾。。。といったことである。

 こんな世の中では、親と子の関係とは本来どうあるべきか。。。疑問に感じない訳にはいかない現状である。


 また、どうして子供を作ったのか? という普遍的な問題がある。今は昔と違ってその理由付けが難しくなってきたように思う。そしてその理由付けのツケが子供に行きがちでもある。
 僕は私はなんで生まれたのだろう。いつの時代にもそう考えて悩む子はいるものだが、若年者の自殺が増えている背景を鑑みるに、やはり親の理由付けの不足や、子供に対する誠実さが足らないように思う。

 子供を作った理由をまともに考えると、親の精神的負担が大きいのも事実だが、実態として「性衝動などの勢い」「意中の男性と結びつくための手段」「結婚や恋愛に対するす勝ち組負け組という発想(特に女性)」「子持ち既婚である優越感の獲得」「養ってもらう手段(妻は夫に、親は将来子供に)」「自分には結婚と子育てぐらいしか周囲に誇れないという劣等感」こうした、親自信の暗く乾いた内面を理由にできた子供も決して少なくはない。 

 総じて「大人の都合で子供はできる」と言いきってしまえば良いのだが、人(特に暗く乾いた人)はそんなに強くない。子供への答えとして「使命」「愛」「希望」などと気障な言葉で誤魔化すことも多いが(尤も子供だってそう言って欲しいだろうけど)、本音を言うと多くの人が苛まれてしまうだろう。


 昔のお家存続のためという大義名分とは気色が違い、子供は個人の都合と捉えられる面が大きい時代でもある。個人でも大きな愛があれば良いが、暗い感情を出発点にした家庭構築をした両親にそれは期待できないだろう。そこも辛い。

 こうした心理的側面にフォーカスした、正しい子供との向き合い方、人として生を受けた理由をうまく模索していかなければ、少子化解消以前に、現代社会に生まれたこと自体が重くのしかかり、暗く荒んだ気持ちに包まれた人生になっていくように思う。

 この問題に対して、子供を持っている人達はもちろん、おっさん(著者)のように子供のいない人達もまた「子供を作ったのはお前らの勝手だろう」などと冷たくあしらうことが無いようにしたい。

 説明してきたとおり、その考えが、益々子育て家庭を追い詰めることになり、結局世の中が荒んでいくのだから。



次回に続く


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