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彷徨うおっさん30 昨今の「共感」議論の危うさ(4/4)共感とは本来有難いものだ

前回は、共感する気遣いの有り様について、例を交えて述べた。

今回はその続きで「共感しない気遣い」についてと、共感とは本来かくあるべきについて述べたい。

<共感する気遣いよりも、共感しない気遣いが良いのでは? 続き>


 
 前回の共感する気遣いのまとめ①〜④を見てみると、やはり愛情と感受性を養うための、子育てそのもののようなやりとりと同じである。

 だが、だとすれば万人受け(大人向け)ではないだろう。

 大人に対してこれらのスタンス一辺倒では、誤りの放置や、それに伴う苦しみの持続が目立つのではないだろうかとおっさんは思う。

 共感共感と相手を責め、ますます我儘な大人を育むばかりの接し方、我儘な大人をあやすむなしさや辛さが広がっていくイメージが湧いてしまう。

 ならばどうするのか、おっさんは、大人相手には共感しない気遣いを心がけてはどうかと常々思っている。
 どういうことかと言うと、

① 感じが悪いとか、付き合いが悪いとか言われても、問題が放置されて後の苦しみが増えるならば、それは当人のためにならない、故に簡単には同調しない
② 否定は最小限だが、肯定も最小限、でもどちらも必要に応じて行う
③ 他人の心よりも先に、先ず自分の問題と向き合うようにする
④ 他者と自分は何もかも違うと念頭に置き、相手の共感に一切期待せず、共感できたら奇跡ぐらいに考える

 如何だろうか。共感ベースのスタイルで通してきた人には不慣れかもしれないが、これを心がけて大人の対応をすれば、感情の波がかなり少なくなるように思う。
 きちんと感情をコントロールするのは、子供に対して、大人としてあるべき生き方の手本でもある。大人同士ならばやはりこの方が健全だ。

 感情の波を抑えると、しばしば「感情表現が希薄だと冷たい印象を受ける」などといった揶揄が飛び交う事もあるが、むすっとしていなければ別にいいだろう。

 子供を安心させて、大人へと成長させていく過程を過ぎたら、今度は共感しないことの大事さも徐々に、だがなるべく早く覚える。そこには女性脳も男性脳もないだろう。
 社会活動を営む上では、男とか女である前に、十分に大人であるかどうかがむしろ大切なのではないだろうか。

 何度も言うが、女性は本当に共感の生き物で、しゃべって発散する生き物なのか? その決めつけを一旦止めて、共感しない心遣いも大切と認識できれば、大分生き方が楽になるのではないだろうか?

<共感とは本来、「持っていて当然のもの」ではなく「有り難いもの」ではないか>



本稿の冒頭でも述べたが、

※本稿での共感とは、心から自然と一致する共感ではなく、チューニングによる安っぽい共鳴行為やその押し付けを言う。

 と、予め釘をさしてある。共感の必要性や有難さ自体、おっさんは否定するつもりはないからだ。

 だが「心底有難いものである」という意識が、ここ最近、世間でとても希薄に思える。

 例えばあなたが、世の中で全く新しい商売を始めたとして、自身のサービスや経営理念に共感してくれるお客さんがやっと見つかったとする。
 当然か? いや! その場に平伏して感謝を述べたいぐらい有難くないだろうか。

 例えばあなたが、世のため人のために役に立つ最新の知識や技術を極め、何年も日の目を見なかったが、苦労してようやく支援を受け、世間からの共感が増えてきた。
 当然か? いや! 全身全霊をかけて感謝し、世の中に報いたいと思うほどではないだろうか。

 共感というのは本来、そんな有難い場面で使うべき言葉であるとおっさんは思う。

 そう思えれば、例に挙げたような貴重な場面でなくとも、誰かが自分と同じ気持ちになってくれるというのは、それだけでも有難いことだと分かる。

 一方で、有難いからこそ安売りしたり、偽ったりするのも好ましくはないだろうとも気が付く。本当の想いや願い、生き方が自然と共鳴するからこそ、共感の「感」すなわち感動がある。

 近年は、安っぽい「女性とは」的なトンデモ理論の横行で、果ては共感できるかどうかで人の価値をうんぬんするようなくだらない風潮が出来上がってしまった。
 それが一番、人間としての自立を妨げている大問題のようにおっさんは思う。
 いちいち共感して感情を波立たせたり、共感して気を遣ってばかりでは生きていて辛い。女はそういう生き物だと都合よく納得して、生き辛く、成長できない人生にしていないだろうか。

 共感不足を理由に男を責める女も勿論だが、おっさんの体験談に出てきた勝手におっさんのために怒る女性や「良かった!同じだね~!」みたいにむやみに共通点を探して喜んでくる人も、共感について、もっと深く考えて欲しいと思っている。

 相手に共感ばかり強く求める人が、どうにも子供考えなのは述べてきたとおりだが、軽々しく共感する人も、いつも他者の心を勝手に揺らすきらいがあるし、勝手にインサイドに入り込む傾向、依存的な傾向もある。
 おっさんとしては結局どちらも、気を遣うばかりで警戒対象でしかない。

 繰り返すが、共感とは本来有り難いものなのだ。 

誤った認識で、男女間に亀裂を生んだり、世の中を乱す言葉に変えないでもらいたいとおっさんは願う。


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