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彷徨うおっさん37 書くことが無い? おっさん流執筆を継続させる考え方(後編)

 前回は批判を恐れて投稿を躊躇することは、極端な話、会社で感情を殺す行為や、道化を演じるような茶番と同じである旨を述べた。
 また、自分では駄文と思っていた記事程人気があるなど、チグハグの状態が普通であるので、人気に一喜一憂するよりも、本当に伝えたいことを書いた方が良いとの意見を述べた。
 今回は、それらを受けた内容として、続かない理由についてのまとめを述べたいと思う。

<前回の続き>

折角自由な投稿の場であるだ。自分の意見を書かずしてなんの意味があるのだろうか。

(※商売でnoteやってるなら別だけど)


 執筆をした内容によっては、人気は得られないかもしれないが、それだけでやめてしまうのは、本来自由な投稿の場を、自ら不自由にしてしまっていることに他ならないのではないだろうか。

 飛んできた批判や嫌悪、忌避された時の感情もまぜこぜにして、次の記事を書くぐらいの器量は最低限持っていたいとおっさんは思う。

<たぶん続かないのは書きたくないことを書くから>


 会社に長くいると分かると思うが、そこそこのお給料をもらうために、無意味でつまらない事務処理や、時には明らかにモラルや規律に反した決定、同朋での潰し合いのような不毛な仕事に手を染めなければならないことは多々ある。

 そういう仕事と向き合う時、みなさんはどういう状態になっているだろうか?
 恐らくは。。。

① ダラダラと言われたことだけを淡々とこなす
② 誰かと負担を分かち合って、最低限で乗り越えようとする
③ それは違うだろう? と命令元に反発して、仕事が進まなくなる

 こういった状態ではないだろうか?

 執筆(執筆に限らず一般的に多くの事業)でも同じことが言えると思う。

 ウケを過剰に気にして、表現やテーマ等につまらない気遣いを続けたり、いいね(noteではスキ)が欲しいばかりに、本音や自分なりの正しさから離れたお手軽記事を書こうとしたりすると、自分自身、途端にうんざりして筆が進まないのではないだろうか。

 書くことがないと悩んでしまったら、一旦、今自分が向き合っている執筆の内容を冷静に俯瞰してみるとよい。一体自分は何が気に食わないのかを。

 仕事でやっているならともかく、個人の好き勝手なnote記事だというのであれば、いいね頂戴のゴマスリ記事はやめて、思いついたままに走らせればいいではないか。

 それが会社の悪口や社会批判、困った人とのやり取りの暴露記事であっても、最低限のモラルや、自身や理想に根差してブレない想いと、独自の考察が練られているのであれば良いと思う。

 近年のSNSは評価至上主義一辺倒でもあるように思う。つまり「人気」や「フォロワー」が全てということだ。

 だが、考えても見て欲しい。

 実際にいいねを大量に貰っている記事は何か。。。

エロ、ニャンコ、有名人、スイーツ、流行の娯楽。。。


 さもなければ今までの記事でもおっさんが散々に批判した

「危うい易行」「誤った人生メソッド」


 そんな、耳にここちが良いばかりで、中身がなく、むしろ危険なものが人気記事になっているのではないだろうか。

 無論おっさんもエロやニャンコは大好物だし、有名人や娯楽にも大いに惹かれる。だが、人間大事なのはそれだけではなく、真面目な話や厭世的な話も人生には必要不可欠であるはずだ。

 エロ尽くし、ニャンコまみれのおっさんだって当然、真面目な話を大量に読み耽っている。


 また、人気があっても危険で誤っているため、批判し、忌避すべき対象は多々ある。
 
有害思想や有害なメソッドでも、人気記事や主流の考えであれば、そこへの批判は当然人気が出ないだろう。
 だが、評価ばかり気にせず、大事なことを探して書くことの方が有意義だ。

 世の中、必要だからと言って、ちやほやされる道理などはない。


 だから、いいね数やつまらない批判は、過剰に気にしても仕方がない。
 おっさんはちやほやされることは考えず、初めから、必要と思われることを書き続けたいと志向してきたから、今日も筆が止まっていないと思っている。

 今日も理不尽なことがあった。今日も隣で泣いている人がいた。

 娯楽を楽しむ人には「辛気臭い、誰がそんな記事を見たいと思うだろうか」というところだろうが。。。そんな記事でも必要な人には必要で、届く人には届いている筈だ。

 何も書くことが無いと悩んでいる人は、ダメでも不人気と分かっていても、人や自分にとって大事だと思うことをまず書いてみればいい。
 
 偉業も、易行と比較されて戯言と言われるのが世の常である。
 自分が書いたものですら、重要でない記事が大人気になる世界なのだ。
 そう考えると、 

執筆や思想の表明などはそもそもがままならないのだ。


 だから好きにやればいい。躊躇を外すことである。

 最低限まともな思想で、謙虚ささえ忘れていなければ、大概の記事は明日の肥やしとなるだろう。

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