ひと匙日記 置いときたい

 ぼくは断捨離ができない。
 正確に言うとできないのではなく、もうしたくない。これまで引越しのたびに思い切って色々捨ててきたが、その殆どを後悔している。本来はなんでも取っておきたいタイプなので、お菓子の箱とかきれいな包装紙とかも、すぐには捨てず一旦寝かせたい。今でこそSDGsゆうて包装紙そのものをあまり見かけないが、ぼくの子どもの頃はあらゆる物があらゆる包装紙にくるまれていた。百貨店には百貨店それぞれのデザインがあったし(高島屋の薔薇、伊勢丹のcowcowチェック、三越のなんかぽわぽわしたやつ…)、サンリオもその時代折々の悶絶するほどかわいい包装紙があった。
 ぼくは幼い頃、包んであったものの中身より、それを包んだ包装紙を母が丁寧に剥がしてゆくのを見るのがたまらなく好きだった。特に自分の好きな柄の包装紙の時は止められたセロハンテープがうっかりビリッとならないように祈りながら、母の手元をじっと見つめていた。手先の器用な母は魔法のようにすいすいと包装紙を剥がしていき、キレイに剥がし終えると姉とぼくは「おかーさんすごい!」拍手喝采。そして丁寧に折りたたまれた包装紙は、なんとなく大、中、小とサイズを分けて押入れの一角に仕舞われていた。そしてその包装紙を何かに使うということはしない。ただただ丁寧に押し入れに仕舞われていた。実家も引越しているのでもうあの包装紙たちも残されてはいないだろうけども。
 ぼくは今でもAmazonなどで品物を購入した際、商品を守るために商品そのものよりも大量に入っているあのうす茶色のシワった紙も、手でシワを伸ばして一旦取っておいてしまう。プチプチとか、なみなみのアコーディオンみたいになるやつとかも。ぁ、傘用のビニール袋膨らまして、ちっさく切ったみたいなやつは場所取るからさよならするけど。
 洋服も去年着なかったら今年も着ないとか、そうかもしれんけど置いとけるんなら置いときたい。本もこの先読むかどうかわからんやついっぱいあるけど置いとけるんなら置いときたい。クッキーとか入ってたカンカンとかもさ、このあとなにに使うの?ってかんじのやつとかも置いとけるなら置いときたい。食器もほとんど同じやつしか使ってないけど置いとけるんなら置いときたい。あん時いっぱいさよならしちゃってさ、後からあーやっぱ置いとけば良かったなって思ったあれとかあれとかあれとかさ、過去引きずってダサいかもしれないけどさ、人から見たらガラクタみたいなもんかもしれないけどさ、置いとけるんなら置いといたらいいよ。

 とか言えちゃうのは一人分だからなんだろうけどさ。