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【読書術】サンプルサイズ1の読書嫌い克服法

はじめに

 こんにちは!コヌズメと申します。

 本記事では、読書を苦手としていた私が、Wordでメモを取り始めて、読書を楽しめるようになった原因を考察し、まとめます。

 科学的根拠のない、サンプルサイズ1の克服法ですが、誰かの参考になれば幸いです。

読めない時代

 まずは、自分語りをお許しください。

 中学生までの私にとって読書とは、労働でした。夏休みの読書感想文に必要な工程の一つとしての、労働です。どうにかこうにか原稿用紙を埋めて提出し、数か月後に添削で真っ赤になって返ってくるだけ。苦痛でした。

 高校生になった私は読書家が格好いいことに気づきました。どうやら周囲には、労働を楽しんでいる徳の高い人がいるらしい、と。
 でもそれだけでした。図書室はついに一度も利用せず卒業しました。

 大学生になってからは、カッコつけで本を買ったりもしましたが、三日坊主で投げ出しました。投げ出すことだけは何か月でも続けられました。

 私のこれまではだいたいこんな感じです。あまり詳しくはありませんが、要はつい最近まで、
「読書家に憧れているけれど、読書が続かない人間」だったわけです。

読むとき何が苦しいのか。

 本が読めなかったとき、特に苦しかったのは、
 「分からない」ことと「時間がかかる」ことでした。

1.「分からない」

 大学生になった時、指定された本に書いてあることが何もわかりませんでした。言われた通りに予習をやろうと思って開いたページには、習った覚えのない知識を前提とした専門的内容がぎっしり。感想を書くだけの易しい課題も満足にこなせない。しかし、周囲はそつなくこなしているようでした。それまで、学校の課題はほぼ全部やってきた私にとっては、つらい出来事でした。

2.「時間がかかる」

 これも大学生になってからのことですが、レポートを書けと言われてから本を読んでも全く間に合いません。内容のわかる本でさえ、あまりスラスラ読めないのです。結局「書いただけ」のレポートで単位を回収する、なりたくなかった大学生になってしまい、私はひどく落ち込みました。

読むとき何が楽しいのか。

 そんな私でしたが、”Wordでメモを取りながら読む”ことによって読書が楽しくなりました。
 そこで本を読んでいる時、何が楽しいのかを考えてみます。

1.「知識が増える」


 本を読んでいると必ず、知らないことに出会えます。面白いことも、面白くないこともまぜこぜに、です。

 例えば最近、「赤蜻蛉」と書いて、「セキセイレイ」と読むことがあるのを知りました。格好良くて気に入っています。あと蚕の糞を蚕沙(サンシャ)ということも。たぶん何の役にも立ちませんが、それでも面白いのです。

2.「思考が深まる」


 本は時に、思いもよらない考え方を教えてくれることがあります。

 ある「モンスター」を扱った本を読む前、私は「モンスター」の存在が人間の思考の枠を押し広げる役割を果たしてきたなんてことは考えなかったし、猟奇殺人やマッドサイエンティストが映画の題材になり始める時代背景を考察したこともありませんでした。

 著者の考え方を借りて、自分の思考が深まる。これも読書の喜びであると考えます。

苦しみと楽しみは表裏一体


 さて、ここまでを振り返ると、ある矛盾が生じます。

 それは、「苦しみ」と「楽しみ」が両立しうるということです。

 私は本の意味が「わからない」ことに苦しんでいましたが、「知識が増える」喜びは、知らない・わからないことが本に書いているからこそです。

 同様に、私は「時間がかかる」ことに苦しみましたが、「思考が深まる」のには当然考える時間が必要です。

 要は、本の意味が「わからない」ほど「知識が増える」し、
本を読むのに「時間がかかる」ほど「思考が深まる」のです。

苦しみの正体

 この点を踏まえて何が苦しかったのかを再考すると、「苦しみの正体」がもう少し詳細にみえてきました。

 結論から言って、苦しみの正体は「憧れの読書家像とのギャップ」です。

 本を読めない人にとって読書家はスーパーマンです。私は、読書家は全員、本を「速く」「正確に」「止まらずに」読んでいるような気がしていました。実は、私は本を読むことに憧れていたのではなくて、スマートに本を読む姿にあこがれていたのです。私は実のところ、理想と現実を比較して、落ち込んでいたのです。

 よく考えると私が初めに挙げた苦しみは、ある意味でどうしようもありません。

 文章の意味がわからないのは、知識が少ないのだから仕方ありません。本を速く読めないのも、知能と経験が足りないせいです。どちらもすぐに改善できることではありませんから、要は、認めるしかない。

 私を読書嫌いから救った「メモを取りながら読む」読書法は、わからないことを楽しむ読書法であり、時間をかけて考えることを許す読書法でもありました。メモを取り始めたきっかけはほぼ偶然でしたが、それがうまくはまったのでしょう。

おわりに


 結論として、「読書に憧れているけれど読書が続かない人」に私から言えることは

「スマートな読書家になるのを諦めたほうがよいかもしれない」

 ということになるかと思います。

 たとえ言葉が分からなくて一文ごとに辞書を引いていても、思考が止まらず一章に2時間かかっても、その読書が楽しいものなら、それが正しい読み方なのだと思います。

 私にとってはそれが、Wordでメモしながら読んで、最後に読書感想文を書く、という読み方だったというだけなのです。

 長くなりました。ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

話題にした著書の紹介

モンスターの歴史
ステファヌ・オードギー著、池上俊一監修、遠藤ゆかり訳
2010/7/03 「知の再発見」双書

 「モンスター」とは何かについて、歴史を追って考察された一冊で、非常に面白かったです。図にグロテスクなものも含まれますので、苦手な方はご注意ください。

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