粘る話(9)#納豆駅伝
今回からやはりタイトルの後ろに#納豆駅伝 のタグをつけることにした。
さて、今回、初の大粒の納豆。
納豆の価格は、スーパーで値札をにらんでいるとわかるが、粒が大きいほど高い。
これはなぜなんだろうと仮説を立ててみた。
豆を大きく育てるまでのコストが上乗せされているのではないかと思う。
もともとの品種の可能性もあるが、単純に豆を大きく育てる方が時間がかかる。その分農家の方が世話をするコストがかかる。
これではないかと。
一度だけ枝豆の種を買って、うちの庭にまいたことがある。
マメ科だけに栽培は簡単で、というか、何もしていなかったが、いい感じに生長した。
いつ収穫すればいいのかな、せっかくだからそのまま育てて大豆にしようと思っていたら、台風だったか大雨が降り、台無しになった。
マルカメムシもけっこうついていて、産卵までした。
マルカメムシについては以下を。
マルカメムシの産卵の写真と記事がブログにあるはずなのだが探しても見つからず。
大きく育てるまでに時間がかかればそれだけこういうリスクも抱える。
この納豆ね、2パックなんだよ。
108円+8円だよ。
あれ、今気づいたけど、アルコール入ってたの?
1食目。
もっとくわしく書いているかと思ったけど、これだけだった。
たれも美味しい。
大粒の納豆、以前はひきわりの次に好きではなかった。
考え方を改めるよ。
粒を歯でつぶす快感。ぐにゅっと口の中で切りつぶすとでも言えばいいのだろうか、触感が楽しい。
大粒は豆が少ないのが残念に見える。ふたを開けると。
ぎっしり系でほぐすの大変だった。
ご飯にかけると、やはり表面積が少ない。
しかし、その不安も杞憂だった。
堪能したよ。
2食目…の前に撮った画像を。
やはり豆がギュッとかたまっていて、完全に1粒1粒にバラバラにするのは難儀だった。最後はあきらめて3粒くらいかたまったままご飯にかけた。
やっぱり美味しいよ。
もう一生これでもいいかと思った。(これ、二度目じゃね?)
もう~もどれない~
アニメ『太陽の牙ダグラム』のOPが頭に鳴り響く。
これ、暗いアニメなんだよ(笑)。
子供の頃って、批判能力がゼロだから、こういうふうに知らぬうちに影響を取り込んでしまうんだよな、食べ物でも周囲の習慣でも何でも…なんてこと考えていたら、なんだか切なくなってしまって。
せっかくの納豆の味がすっかりなくなってしまった!なんてこった!
味は思考や感情にめちゃくちゃ支配されることを改めて思い知った。
ひとつ前の粘る話(8)にちょっと前の記事に書いたが、子供のころ私は食べるのが苦痛だった。
夜ご飯はよく泣きながら食べた。そのたびに母親に「いやいや食べると栄養にならないらしいよ」というようなことを言われた。正確な言い回しは忘れたが。
こういうことだったのかと半世紀近くたって分かった気がする。
1食目のときは、高いし、ちょっと高級そうだしという先入観から、実際の味以上においしく感じているんじゃないかって実は疑ってた。
でも、美味しく食べられるならそれでいいじゃん!とも思っていたし、実際にそれでいいと思っている。
人生の幸福度なんて、個人の主観の集積だ。そこに客観性は必要ない。
そういう意味で、年収や資産など簡単に数値化できるものを他人と比較するのは、幸福度下げる典型的な方法なんだろうな。
今日も読んでくれてありがとう。
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