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第二章② 夢のはじまり〜人生初の日本一〜(中学生編)

やっと中学3年生になりました

やっと気が向いて、書く気になりました笑

この前が気になる人は是非見てみてください

確か、ここでは単身渡米(良いように言い過ぎ?)をして、NFLに行く!ってなったとこで終わったはずです。

本当に思ってました。
この時は迷いなんてサラサラなくて、絶対アメリカの高校、大学に行って、NFLでプレーする。って思っていたとおもいます。

若いって良いですね
何事をやるにも自分の可能性を信じて、追い求め続けるべきです。
歳を取れば取るほど、周りが見えてきて、自分の位置がわかってきて、自分を信じることができなくなったりします。


まぁそんなことはいいんです


中学3年生になった時、キャプテンに立候補しました。そして、日本一になると目標を立てました。

小学生の頃では考えられませんでした
足も遅くて、運動神経もそこまで良いわけではなく、熱中できるものなんてなかったのに。

そういえば、中学に上がった頃ぐらいから
運動能力が急に上がりました。
小学校6年間、リレーの選手になったことは一度もなかったですが、中2ぐらいで学年一、ニを争うほど足が速くなりました。

跳躍力があることにも気づきました。
走り幅跳びは中3で5m後半ぐらいだったと思います。市内の陸上大会でも上位でした。

バスケ部では、アメフトをしていたこともあり
スタメンで出場したことはなかったものの、シックスマンとして毎回試合に出ていました。

中学卒業後に父親から聞いた話ですが
「もしアメフトをしていなければ、バスケの神奈川県選抜に推薦していた」
と顧問の先生から言われていたそうです。
(父はバスケ部の顧問と煙草仲間で仲が良かったらしいです笑)

という体の変化もあり、今思うとこの頃の僕は
人生の絶頂期なんじゃないかと言えるほど
何もかも順調でした笑

春のシーズン、順調に神奈川県大会で優勝し
関東大会の決勝で佼成中に勝ち、関東大会も優勝しました。

秋になってもその勢いは止まらず、関東大会決勝で再び佼成中と当たりました。
点差は覚えてないですが、接戦を制して優勝しました。


そして、来たる日本選手権
関東上位2位、関西上位2位が出場でき、襷掛けで試合を行って、勝った方が決勝に進むというものでした。


関東は
1.Jr.Frontiers
2.佼成中学Lotus
関西は
1.立命館宇治中Panthers
2.草津リトルパンサーズ
が出場しました。

これ面白いのが、後々高校大学で僕と関係が深い人しかいないんですよね。

佼成には現フロンティアーズで同期の池田健人や今でもよく遊びに行く、現シルバースターの影山勉(写真右から2番目の14番)などがいます。

立宇治は言わずもがな、僕が高校で立命館宇治高校に進学するため、その後の同期がたくさんいます。

草津リトルパンサーズには後々KGでライバルとして戦う光藤航哉(写真右の2番)がいます。

ちなみに僕は何とも言えない顔をしている短パンです🥴

準決勝を草津リトルパンサーズに勝ち、遂に決勝へ進みます。
決勝の相手は、ライバル佼成中学。
その年、3回目の対戦でした。

オフェンス、ディフェンス共にフル出場し
3TDを記録して、見事優勝することが出来ました。
しかもこの年なんと、パーフェクトシーズンだったんですよね。

春シーズン、秋シーズン、練習試合も含めて
一度も負けることなくシーズンを終えることができました。
優勝した時の感情って、めちゃくちゃ嬉しいのかと思ってたんですが、そうではなくて
安心した、やりきった、っていう感情がどちらかというと強かったのを覚えています。

まぁそんなこんなで、無事パーフェクトシーズンで日本一を達成して、立命館宇治高校に進学するというところで第三章に入ります。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
第三章以降もよろしくお願いします🙇‍♂️

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