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第二章 夢の始まり〜人生初の日本一〜(中学校編)

noteを書くならコメダが良い(しかも土日の朝)
最近はそう思っています。側から見たらコーヒー飲んでケータイいじってるだけなんですけどね笑笑

さてさて、中学校編いきまっせえ
個人的には中学生の頃が1番体力が尽きなくて、3年間動きっぱなしだった時期です。

おさらいから行くと
小学校でフラッグフットボールを初めて、コーチの影響でアメフトにハマったんでした。

この前書き忘れてたんですが、小学校6年ぐらいから、もっと高いレベルでフラッグフットボールしてみたいなぁみたいな話を父としてたんです。
それで父が見つけてくれたのが、富士通フロンティアーズのジュニアチーム(以下、FFFC)でした。
FFFCなら日本一もとった経験があるし、日本で1番高いレベルでフットボールできるんじゃないか、という話になり、恐る恐るその門をたたきました。
FFFCは土曜日しか練習がなく、それだけでは足らないと思い、法政トマホークス(現オレンジ)のタッチフットチーム(以下ジュニトマ)にも入りました。

じゃあ次、平日暇やん、どうすんの
となり、部活動も始めます。
当時の僕はとても背が小さかったため(当時の??)身長を伸ばすためにバスケ部に入りました笑(緑の9番が僕です)



ここから中学生編スタートです!
そんなこんなでとっても忙しい日々を過ごしていましたので、ちょっと自慢ですけど、中学時代の3年間の週間スケジュールをお教えします。

月:部活、塾(という名の公文)
火:部活、バスケのクラブチーム(シーガルズ)
水:部活
木:部活
金:部活、塾(という名の公文)
土:FFFC、午後部活あれば部活、なければ自主練
日:ジュニトマ、午後部活あれば部活、なければ自主練


こんな具合に活動しておりました笑
今見ても本当に自分を誇らしく思います。なんたってオフがない笑
若さというのは最強の回復ツールだったのかもしれません。

全て話すと壮絶なストーリーになるので、思い出深いものだけピックアップしますね。

中学2年のとき単身でアメリカにフットボールをしにいきます

実は中学でフットボールをしていく中で、だんだん自分に自信がついていきました。中1からスタメンとして試合に出ていたし、だいぶキレキレでした。
この頃からNFLも知って、本番のフットボールを見始めるんですね、思いました。

「NFLでプレーしよう」
親にも相談して、その当時、NFLに挑戦していた井上友綱さんなど沢山の人の話を聞いて、高校からアメリカに行くのがベストという決断をしました。

そして、アメリカのアリゾナに1週間単身渡米し、サマーキャンプに参加します。
RBとしてキャンプに参加して、日本人はもちろん1人、部屋もアメリカ人の同年代の子と2人部屋という初めてすぎる経験をします。
(強烈に覚えてる。アメリカの空港寒すぎるってのと、待機室でやってたスポンジボブ🧽が英語で全く理解できなかった)
このキャンプ、小学生から高校生まで別々の学校でプレーしている人達がオフシーズンに集まってアメフトをするっていうものなんです。

最初は中学生の同年代とプレーしていたんですが、アジリティードリルの測定をした時に、誰よりも記録が速かったんです。それを見て驚いたコーチが
「お前明日からあっちいけ!!」(推測)
ということで、高校生のグループですることになりました。
タックルのフットボールなんてしたことなかったし、あっちの高校生デカすぎるし、恐怖しかありませんでしたが、なんとか1週間やりきりました。
(ここだけの話、毎練習の1番最後に対戦形式のガチガチのぶつかり合いがあるんですけど、怖すぎてその時だけみんなの影に隠れて、いないフリをしてました😂)

そんなこともありながら、アメリカでも自分の実力が証明できて、自分としては十分に勝負できるな。という感触でした。

そこから中学3年生の最終年に入っていきます。
NFLでプレーをすると決めてから、また一層アメフトにのめり込んでいったのを今でも鮮明に覚えています。
めちゃめちゃ楽しかったし、ワクワクしていました。

といったところでこの辺で前編終了です。
次回中学3年の時の事をお話しします。

読んでいただきありがとうございました。
またお会いしましょう✌️

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