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こんたこんな人


埼玉県で育ち今もなお住み続ける寅年蠍座女史。ちなみに1986年生まれ。
動物占いは新しいもの好きな黒ひょう(旦那はライオン、娘がオオカミという猛獣一家で暮らしてるよ。)
現在は在宅エンジニアワーママが生業。

母、妻、フリーランス在宅フロントエンジニア、娘(実母と同居)、オンナという複数の顔を持つアラサーとして生きてる。
ここ最近は、自分磨きとスキルアップに奮闘中。  

好きなものは?

小学生の頃から少女マンガがバイブルの根っからの妄想思考。
もはや「女として」のあれこれとか「人となり」全ての選択や思考がこれからきてる。幼少期から世界観とか人間関係、ドキドキすることが私の中では生きる意味なのかもしれない。  

加えて家電や最新機器、アプリ、ツールオタク。
最近は自宅のリフォーム中でインテリアを見漁ってて、アイアンの脚線美選びで何時間も使う人。
サイズも結構こだわり屋。収納用品とかぴったりが見つかるまで買えないし、コーディングにおいても余白が均等じゃないと気が済まない人。  

社会人経験はある?

父親を中学生で亡くし、私は看護師になるんだ〜とぼやっと思っていたから高校卒業後看護専門学校へ行ったのね。でも合わなかった。
まず奉仕の精神がちょっと足りない。田舎から出てきて寮生活しているような真面目な学生の中で浮いてたと思う。

その頃「お水」という世界をひょんなことから体験。そのままデビューしてもうこれは、私の天職だと思った。

キラキラな世界、ヘアメイク、ドレス。
大好きな人とのおしゃべりに人間観察、美味しいものが食べられる環境と頑張りが全て数字で評価されることはもうなんだろう。全てが詰まった宝箱のような毎日だったなと思う。

毎日ワクワクしながら、色々試行錯誤して。
人間観察力というか察知力?コミュニケーションスキルはこの頃格段に上がったと思うし、経営者脳というか独立思考がインストールされたと思う。  

なんでエンジニアになったの?

同級生たちが大卒で就職すると同時に「私も水商売は卒業せねば!」「社会へ出ねば!」と思い立ち、いきなりキラキラの世界から現実を生きるサラリーマンになった。
最初はオーダーカーテンと家具の会社でパースを書いてたよ。
そこは上司のパワハラと暴力がすごくて速攻退社。世の中そういうものだと思うとこだったよね。

でもインテリアの仕事楽しいなぁと思ってたので、次も無垢リフォームをしている会社に就職して。
ある支店の電話ばん、営業事務、経理、雑貨販売、打ち合わせ補佐(お客様へのお茶だしと、デザイナーの提案に日々聞き耳立てる)、近隣の方へ向けたワークショップの開催とか色々やらせてもらった。

その頃仲良しだったひとまわり上のデザイナーさんのお兄さんがDTPデザイナーをしてるって話を聞いて、めっちゃ面白そう!って思ってその日のうちにデザインスクールの相談会を予約。
実際に相談に行ったら「これからはWebですよ」って話をされ、そのまま約60万円のWebデザイナーコースへ入学。

その中で出会ったんですね。コーディングという仕事。

メモ帳にコードを書くとね、ブラウザに、
画像が出る!文字も!綺麗なフレームが!なんじゃこりゃ面白ぉぉ〜!

という感じで、すぐにWeb構築コースへ移行。
そこからは昼は月15万円の給料で働き、スクールのローンを払いながら夜はスクールへ行く、家では復習しながらサイトを作るという生活をしました。

通いながら未経験で働ける会社を見つけて卒業もせずWeb制作会社へWebデザイナーとして就職。ベンチャーだったので人も少なく営業事務も兼任。
あの時事務職やっててよかったと切に思ったことは確か。

そして出会った、WordPress。

HTML・CSSの基本の「キ」ぐらいのレベルで転職し、そこからは先輩がこなくなり毎日Google先生に聞いて、参考書で調べて実装、検証の繰り返しからドメイン・サーバーエンド、ワードプレスのコード、php、javaScriptとかもう怒涛の日々を過ごし気付いたら7年。

フリーランスでやっていけるレベルまでを習得できていた。

起業は?なんでしようと思ったの?

2013年になんかぽっと結婚できてしまって(出来ると思ってなかった)2014年に長女を出産した後、子育てと仕事の両立、自分の時間を確保したいと思ってた。そんな時、さらに学童問題を聞き完全にビビって。
これは「在宅ワークだ!」「したいというかしないとだめだ!」という想いで30歳で脱サラ起業。

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