療育って何だろう?

2021年で6歳になった息子。
自閉症児として生きています。

「療育のありかた」みたいなことについて書こうと思っていますが、まずは息子のことを書いてみます。
出生からの出来事を書くため少々長くなりますが、お付き合いいただけたら幸いです。

生まれた直後から大変だった息子

息子は、生まれた時から自閉症の傾向があったわけではありません(少なくとも気づいてはいなかった)。大抵の自閉症児が、1,2歳児検診で気付くと思いますが…

何かと成長は遅かったのですが、「(発達障害的な)違い」を感じだしたのは2018年頃(4歳・年少)だったと記憶しています。

保育園の生活に支障が出始め、「この子は何かあるのでは?」と感じるようになっていました。

そもそも、生まれた時から大変な子どもであった息子。
(そーゆー意味では、発達障害ではなく「何か」あるだろうな、という感覚はずっと持っていた)

生まれたその日の晩に、呼吸が停止しすぐにNICU(新生児特定集中治療室)へ。
総合病院での出産だったため、すぐに小児科と連携してくれて本当に助かりました(これが小さな産科だったら、もしかしたらダメだったかも…というのは、当時妻とよく話していました)。

退院までの1週間は、ずっとNICUに入っていました。
当時(2015年)はコロナもありませんでしたが、「集中治療室」という特性からか、面会時間が厳密に定められており、しかも両親しか入室できない徹底ぶり。
周りを見ると、人工呼吸器や素人には何の用途かわからない機械をつけているお子さんがほとんどで、改めて「すごいところに入っているんだな」と感じました。

かくいう息子も、数日は人工呼吸器をつけており、機械が外れたときの安堵感は一生忘れません。

結局、病院にいる間、息子と触れあえたのは1日30分程度でした。
もちろん、母親である妻も条件は同じで、授乳すら行えず、搾乳した母乳を看護師さんに渡していました。

一時的とはいえ、呼吸が停止したため精密検査(MRIなど)をしてもらいました。
結果、大きな異常は見られませんでしたが、
「『囊胞(のうほう)』がありますね」
という診断。
脳に「空気のような隙間」があるとのこと。
とはいえ、成長とともになくなる傾向が強く、3歳くらいにならないと影響は判断できないとのことで、ひとまず放置することに。

1週間のNICU生活が終わり、無事退院。
(妻は先に退院していたため、せっかく子どもが生まれたのに2日ほど「子なし」生活でした)
その後はしばらく普通に生活していましたが、1歳になってもなかなか歩き出す素振りを見せない息子。
発語も遅く、1歳児検診で相談することにしました。

毎月何かしらの訓練

歩行については、生まれつき筋肉が柔らかいと言われ、かつ、足首が少し外側に反っていたことが影響していたようです。

1歳7ヶ月でようやく第一歩を踏み出した息子。
足首の「反り」を矯正するために、靴に簡易的な矯正具をつけてもらい、歩行時は必ずその靴を履くよう言われていました(「この子はこのまま歩けないのでは?」というのは何度も何度も頭をよぎりました)。

「このまま悪化すると、専用の歩行器具を使うことになるかもしれない」
と先生に言われ、矯正靴以外は履かないようにしていました。

この時に履いていた靴は、『sukusuku』というASICSのハイカット。
かかと部分が固く、足首をかっちりホールドしてくれるため、足首が柔らかい息子にはピッタリの靴でした(ただし、1足4000~5000円するので、少々痛い出費ではありました…)

他にも「軟筋」から来る、「発語の遅れ」「手先の不器用さ」「口が開きっぱなし」など、いろいろ矯正しないといけないことが多かったです。

毎月のように、OT(言語聴覚:発語の訓練)・PT(理学療法:運動機能向上)・ST(作業療法:手先の機能向上)、歩行訓練など、いろいろな発達支援を受けていました。
ただし、この時にはまだ、「自閉症」ということは考えもせず、物理的な・表面的な「障害」を治すつもりで取り組んでいました。

「発達障害」を意識しだす

「単に発達が遅いだけなんだろう」
実際に、病院や支援センターの担当者からも「障害」という言葉は出てきませんでした。

4歳頃になり、ようやくすべての支援が終わりました。
終わったからと言って、何でもやれるようになったわけではないですが、
「普段の生活で意識しながら取り組めば大丈夫」
とのことで一安心。
この時期は仕事が忙しく、療育はほぼ妻に任せっきりで、今も頭が上がらない…(泣)

専門機関による直接の支援はひとまず完了したものの、徐々に自閉症の症状がはっきりと出てくるようになってきました。

とはいえ、最初(4歳頃)から自閉症と決めつけていたわけではなく、
「何かしら発達障害がありそうだね」
という程度の認識でした。

その頃から、発達障害に関する書籍を読みあさることになります。

とにかく、「発達障害」についての知識が全くなかったため、まずは知識を入れないと!と意気込んでいました。

いろいろな本を読んでいるうちに、
「息子はADHDの特性が強いかな」
と妻と話していました。

それが結局は、「自閉症」と診断されるのだから、素人の勉強ほど当てにならないものはないなと、つくづく思い知らされましたが。

保育園生活で苦労

自閉症の診断自体はまだ少し先ですが、すでに保育園では、先生方の個別のフォローがないと生活に支障が出るくらい、集団生活になじめていませんでした。
特に、場面の切り替えが本当に苦手で、
「みんながホールに移動して体操しているのに、息子だけミニカーで遊んでいる」
「お昼寝前の着替えをやらない」
「そもそもお昼寝をしない」
「給食を食べない」
「何とか食べるが歩き回って落ち着かない」…などなど

先生に促されると癇癪(かんしゃく)を起こし大暴れ。
当時の担任はまだ若い方で、息子の対応は本当に大変だったと思う…

「小学校」を意識して

この頃から我が家では、「小学校」を意識するようになります。
普通級なのか支援級なのか、はたまた支援学校なのか。

当時(2019年頃)はまずは、
「普通級でやっていけるように」
という思い(どちらかというと親の願望)から、発達障害(特に自閉症)の療育で有名な学校に通わせてみることにしました。

そこではスクールプログラムを受講し、週に1回2時間半の授業を受けます。
「はじまりのかい」から始まり、音楽や製作、体育など、学校の授業を想定したカリキュラムです。
生徒6名(全員何かしらの障害あり)に対して先生は2名。
健常児であれば余裕のある体制だが、全員が障害を抱えているため、どう見ても2人では足りておらず、毎回教室はカオスでした。

教室から脱走する子、指示に従わずウロウロする子、奇声をあげる子など、これが「支援」が必要な子どもなんだな、と。
周囲の子に比べると、息子の自閉症は軽度であるため(当時はまだ診断前ですが)、落ち着いて授業に参加している時間帯も多かったです。

しかし、一番大変だったのが、
「常に隣に座って一緒に授業を受けなければならない」
ということでした。

もちろんこれは、学校側からの指定ではなく息子の特性です。
基本的に保護者は、廊下から授業を見学しています。
見学も強制ではなく任意であり、保護者が不在のご家庭もありました。

当初は、慣れない環境だしそれくらいはいいだろう、という考えもあり、先生からも、
「今は参加することに意義がある」
と言われ、一緒に参加していました。

とはいえ、隣で参加すること自体は全然構わないのですが、問題は椅子と机の大きさです。
未就学児サイズのため、大人が座るにはあまりにも小さすぎるのです。
腰や膝が痛くなるため、休憩がてら廊下に出ようものなら癇癪を起こす息子。
他の子もそうだが、何か問題が発生すると授業が止まるため、他の子のためにも無駄に止めないよう頑張って座っていました。

「療育」って何だろう?

5歳の頃は、前述のとおり「参加すること」を第一目標に据えて通っていました。
確かに、一緒に参加すれば先生の指示には従うし課題も難なくこなします。
(息子にとっては、課題の難易度は低かった)

こうして一年間(うまく参加できないことも多々ありながらも)通い、年長へ進級。
結局、親が隣にいないと授業に参加できないまま進級したため、年長クラスでも特に変わることはありませんでした。

この頃(2020年)、特に年中の後半からは、行くことすら本気で嫌がるようになり、連れて行くだけでもかなりの負担になっていました。
(授業が15:00からなので、14:30までは保育園。その後療育、という流れでした)
あまりにも嫌がるので、休ませることも増えてきて、徐々に「療育の意味」を考えるようになってきました。

今思えば、決められたカリキュラムをこなすことが、息子にとっては本当に苦痛な時間だったようです。
まだ普通級への思いを捨てきれない親にとって、また、高い授業料を払っている、という経済的事情からも、とにかく行け!という思いが強かったのです。

「普通級に行けるように」との思いからスクールプログラムを受講したものの、肝心の息子が通うことを拒否してしまう。

「小学校がどういうところか」
「先生の指示に従わないといけないよ」
ということを学んでもらうために受講したのですが、これは親のエゴなのかもしれない。
本人が全く行きたがらないのに、行かせることに意味があるのか。

発達障害の書籍は、本当にたくさん目を通してききました。
30冊以上は読んだはずだし、ネットの記事や専門家との会話などもインプットとしてはやってきました。

しかし…

しかし!である。

本当の意味で「発達障害」というものを理解はしていなかったのかもしれないのです。

誰のため?何のため?

「理解していないかもしれない」
そう自覚することで、あることを思い出すようになりました。
多くの書籍で、
「自閉症など、発達にデコボコがある子には相応の環境を用意することが大事である」
と書かれているのです。

読んでいる時は「そうかそうか」と理解した”つもり”でしたが、消化はできていませんでした。ただただ、頭の中にインプットしているだけ…

息子と対峙すると、「息子を環境に合わせよう」とばかりしている自分に気がついたのです。

「息子に合った環境」という意味では、スクールプログラムは本当に理に適っていると思います。
作業の進捗や座る姿勢など、一人一人を順番に見てくれて、置いてけぼりにはならない。課題が難しいと判断したら、すぐに簡単なものと取り替えてくれます。
「さすが療育のプロ集団」
と何度も思ったものです。

問題があったとすれば、それは、クラスの他の子が息子より重度であったこと。
そのため息子は、保育園のような「特別扱い」はされることもなく、とにかく課題(カリキュラム)をこなすよう促されます。やればできるし、隣に父母がいればそれとなくサポートもするので、課題が滞ることはありませんでした。
「特別扱い」を心の底から望んでいる息子にとっては、耐えがたい時間だったのでしょう。

そういう意味では、ここのスクールプログラムは息子には合っていなかったということになります。
決して、学校に問題があったわけではなく、単に「合う・合わない」の問題です。

療育施設が提供しているプログラムはとても良いものでした。
それを息子に「適用」することは、環境を合わせることに違いはないですが、さらにもう一歩踏み込んで考える必要があったのかもしれません。

微調整が必要

「合わせた環境が合っているのか?」

他人が用意したものをそのまま当てはめるだけでは、多種多様な症状を持つ発達障害児には対応できません。
結局今回は、「辞める」という選択肢を取ることになりましたが、「隣で一緒に授業を受ける」ことも微調整の一つだし、今後もこのような調整をしながら息子と対峙していく必要があると、改めて考えさせられた1年でした。

もちろん、小学校に行ってもなお「隣で一緒に」は難しいでしょうが、必ず何かできることがあるはず、と思っています。
少なくとも、親がそういう意識でいないといけないと強く感じています。

自治体の就学相談においても、「支援学級」と言われたため、なおさらスクールプログラムへの意味を見いだせなくなったのも、辞めた理由です。

義務教育のこの時期に、本人の嫌いなことを無理やりやらせることが、果たして息子のためになるのかどうか?
支援級(息子の自閉症のレベル的に支援学校はない)でじっくり対応してもらい、「学校って楽しいな」と思ってもらうことが、今は何よりも大切なことではないのか?

グレーゾーン?

先日(2021年7月中旬)、就学相談の際に、息子の知能テストを行いました。
「IQ83」
ということで、思っていた以上に知的能力が低いことがわかりました(半年くらい前の別の検査では106だったため、知的な心配は全くしていなかったのですが…)

一般的に、IQが80を下回ると「知的障害」に分類されます。
ここで言いたいことは、
「80以上あって良かった」
ではありません。

「グレーゾーンになってしまうのではないか?」
ということです。
IQが80あることで、「知的障害」と認定されないため、様々な福祉サービスを受けられないのです。
しかし、普通の子どもたち(いわゆる健常児)と机を並べることは、やはり難しいのです。

そして、息子のために

もちろん息子は、支援学級には入れそうなので、保育園卒園後に行き場がなくなることはないと思いますが、「普通グループ」にも「障害グループ」にも属せないお子さんも、実際にはいるようです。

親の見栄やエゴで普通級に行かせるのではなく、また、何も考えず「障害者」として接するでもなく、息子が幸せに暮らせるような環境を提供できるよう、これからも頭を悩ませて行こうと思います。

この記事を読んでくださった方の中にも、同じような境遇の方がいらっしゃると思います。

何に悩み、どう向き合っているのか、情報を共有できたらな、と思い、息子の出生からの出来事を書き連ねてみました。
(みなさまの悩みや対応方法など、大歓迎です!!障害児と接していると、本当に孤立しているように思えてしまいます。「自分だけじゃない」という事実でメンタルを保ちたいです(笑))

最後に

5歳の終わりに医師から「自閉症の疑い」という診断をもらった際に、出生直後の「囊胞(のうほう)」についても聞いてみました。
しかし、
「(MRIを)撮るのは構わないが、囊胞があったとしてもどうしようもない。結局、(自閉症という)結果は変わらないし対応方法も変わらない。MRIを撮るだけでも、本人にストレスがかかる。それでも撮るならやりますが…」
と言われました。

確かに、新生児の時の囊胞がまだ残っていたとして、それが自閉症に関係していたとしても、結局やることは変わらないし、自閉症が治るわけでもありません(自閉症は治らないし、そもそも「病気」ではないため。)。

であるなら、医師の言うとおり、本人にストレスを与えてまでやる必要はないな、と。

何か不都合なことが起こると、必ずその「原因」を特定したくなりますよね。
「なんで自閉症になったんだ?」
と。

世の中の多くのことは、原因がわかると対策を立てやすいです。
トラブルが起きれば、「原因はなんだ」と問い詰められます。

しかし、息子にとって「原因」はどうでもいいことなんです。
自閉症という診断すらどうでもいいと言えます。
(自治体への申請には必要であるが…)

自閉症だろうがなんだろうが、今息子は、周囲の環境に適応できずに苦しんでいます。
まずはそれを認識することが大事。
そして、それを解消するにはどうすればいいか?

こういう視点で前を向いて進んでいくしかないのです。

今回受講したスクールプログラムは、結果として成功したとは言えません。
それでも、これまで書いてきた「視点」を得られたこと、そして、「あのときやっておけば良かった」という後悔を生まないためには、受講して良かったと思っています。

今後も苦難は続くと思いますが、息子にとって生きやすい環境を常に考え取り組んでいきたいです。


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