桜散る乱
「桜は人を狂わせるって言うけど、あれってダジャレだよな」
突然友人がそんなことを言い出した。何のことかと思ったら、有名な文学作品のことらしい。それのどこがダジャレなのかと言うと、「桜」と「錯乱」をかけているのだと。言われてみればかかっていないこともないとは思うが、単なる偶然ではなかろうか。
けれどそう主張している友人は普段、そんな冗談を言うタイプでもない。どうしてそんなことを思い付いたのか訊いてみると、
「自分で考えたんじゃないよ。教えてもらったんだ」
との答え。
それは満開の桜に誘われて一人で花見に出かけたときのことだそうだ。友人は満開の桜の下でクマさんに出会った。
「クマさん?」
話の腰を折るとわかっていて、聞き返さずにいられなかった。クマさんと言えば森のクマさんしか思い浮かばないが、そんなことはないだろう。
「そう。森のクマさん」
だが驚くべきことに正解らしい。友人はある日、森でクマさんに出会った。
「食われるだろう? 食われなかったのか?」
「食われないよ。クマさんはハチミツが大好物だから」
答えになってない気がしたが、友人が無事でここにいるということは食われなかったということだ。だが、しかし……。
「そのクマさんに聞いたんだ。桜と錯乱をかけたダジャレだって」
「クマと話したのか?」
「クマさんは森の王だからな」
話が噛み合っていない。目の前の友人がだんだん見知らぬ何者かのように思えて怖くなって来た。
そういえば今日は仏滅の十三日の金曜日で、朝の十三星座占いで私は最下位だった。どうやら今日は日が悪い。
「その話はまた今度詳しく聞こう」
一方的にそう告げて、友人が引き留める声も無視してその場から逃げ出した。
早足で歩くうち、私はいつのまにか桜並木の下を歩いていた。盛りを過ぎた花々は、たいした風もないのに盛んに花びらを散らしている。その勢いはやがて二、三メートル先の視界も覚束ないほど猛烈になり、私を激しく狼狽させた。足を進める意気地が挫ける。
そうして立ち止まった私の目の前に突然、陽気に歌い踊る人々が現われた。酔っているらしい。どうやら花見の真っ最中だ。
老若男女取り合わせて十人以上はいるだろうか。その一団は寒さを凌ぐペンギンのようにひと塊になり、歌い踊りながらくるくると回転している。
その姿は絶え間なく降り積む桜の花びらに似て果てしがない。果てのない光景は透徹な狂気を感じさせた。
気がつくと、自分もその輪に混じってくるくると回っていた。なぜ? こんなのはおかしいと思いながらも、回れば回るほど身体はその場に馴染んでゆく。まるで身も心もバターになっていくようだ。
いつのまにかさっき別れたばかりの友人も一緒に回っていた。噂のクマさんも一緒だ。黒々とした小山のような立派なクマさんだった。
そのわけのわからない集団の上に、桜は永遠に(※誤字でない)降り積もってゆく。
(やはり桜は人を狂わせるのだ)
そう頭の片隅で考えたことも、たちまち狂い散る桜が覆い隠してゆき、あとはもう何もわからなくなった。
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