「弱者男性」に対する私の意見
この話題に触れるのは少し迷いましたが、自分も一応当事者に該当するということで、今回は「弱者男性」にスポットを当てた記事を執筆することにしました。あくまで「弱者男性」という言葉に対する私見となりますので、間違っている部分や不足している部分、憶測や感情論のみで執筆している部分などがあろうかと思いますが、温かい目で見ていただけると幸いです。この記事では主に「弱者男性と『恋愛』」「弱者男性と『努力』」という2つの観点から執筆していこうかと思います。
※注意:この記事では定義としての「弱者男性」というよりは、筆者自身のイメージとしての「弱者男性」にスポットを当てています。繰り返しになりますが、定義的に間違っている部分や不足している部分、憶測や感情論も含まれている部分がありますが、ご理解いただきたく存じます。
はじめに:「弱者男性」の定義
まず初めに、「弱者男性」とはどういう意味なのか説明しておきます。詳しい意味は各自ネットなどで調べてみてください。
また、少ないながら「弱者男性」について取り上げた著書もありますので、ここで紹介しておきます。
男がつらい! -資本主義社会の「弱者男性」論- 著者:杉田俊介
弱者男性1500万人時代 著者:トイアンナ
そして、かくいう私も「弱者男性」になる要素を十分に備えた一人で、以下の特徴が当てはまっています。
独身:モテない、今まで女性経験・交際経験がない(つまりは童貞)
貧困:仕事ができない無能である、年収も300万円台前半から上がった試しなし
障害:(正式な診断はないが)ADHDとASDを併発、仕事も現在休職中
上記の他、幼少期に両親から虐待を受けた経験があるということなども条件として追加されるようです。さらにネットではこれらに加え、「低身長」「メガネ」など見た目上の特徴も追加されているようですが、私は幸い(?)これらには該当していないようです。
(某女性ゲーマーの「身長170cm以下の男性には人権がない」という発言が有名ですが、私としてはネタで言っているものと信じたいです)
そんな私にとっての「弱者男性」像はどのようなものなのか、次の項から説明していきたいと思います。
弱者男性と「恋愛」
私は今までに恋愛経験がなく、大学を卒業してからプライベートで女性と会話した記憶がほとんどありません。今までに恋愛感情を抱いた女性は何人もいますが、告白を断られることに対する恐怖が邪魔をして行動に移すことができませんでした。また、小学校時代に片思いをしていたことを周りの友人からかわれたトラウマを抱えていると思われることも少なからず影響しているのではないかと思われます。(私が気にしすぎなだけかもしれませんが…)
そもそもの話、女性へのアプローチの仕方もわかりませんし、それ以前にコミュニケーションに難があるので同性に対するコミュニケーションにも難儀しています。こんな人間が今後恋愛できるのかというとかなり困難な話ではないかと思っています。
私に対して「男らしくないな」とか「お前はヘタレだ」などといった罵詈雑言が聞こえてきそうな気もしますが、こう言われるのも無理はないと思っています。しかし、中には過去に女性から逆セクハラなどの性被害を受けたトラウマから交際経験を積むことができなかった方もいるでしょう。こういった方も「弱者男性」に含んでいいのかと聞かれると、それはちょっとかわいそうではないかと思います。
こうしてみると、「努力が足りないから『弱者男性』になった」と言われる人と、「過去に大変な経験をした以上、恋愛できなかったのは仕方がない」と言われる人が二分されるのではないかと思います。前者の「努力不足」は「弱者男性」当事者の逆鱗に触れるワードなんですが、次項で詳しく解説します。
私の場合、コミュニケーションが大の苦手であることが原因で現在に至っています。「頑張れば彼女の一人くらいできるだろ」という人もいれば、「性格なんだから仕方ないよね」という人もいるのではないでしょうか。私としては自分に対する不甲斐なさから「努力不足だった」と釈明したいところなんですが、これで片づけてしまっては自己嫌悪に陥って自分を追い込むだけなので本音を言うと言い訳してしまいたいところです。執筆している今がまさに自己嫌悪に陥っている状態で、何をしても気分が晴れないのですが…
何が言いたいのかというと、「恋愛経験がない」というだけで安易に「弱者男性」と認定することがあってはならないということです。私のような小心者が「弱者男性」と叩かれるのは致し方ないことかもしれませんが、過去に女性関係で心の傷を負った方にそのような言葉を投げかけるのはあまりにも乱暴で安直なことです。「弱者男性」と揶揄する前に、その方のバックグラウンドを正しく把握することが大事だと思います。何も知らずその人を傷つけてしまうことほど悲しいことはありません。
弱者男性と「努力」
前項で申し上げた通り、「弱者男性」は「努力」という言葉を嫌う傾向があります。それは周囲から「弱者男性になったのはお前の努力が足りないからだ」と言われてきたことが根底にあるのです。しかし、弱者男性当事者は「障害や家庭環境に原因があるのだから、『努力不足』で片づけないで」という風に主張しています。
冒頭で「弱者男性」は何らかの障害を持っている人が多いという話をしましたが、実際に発達障害を持った方は「実行機能障害」というものを持っている方が多いと言われています。物事を筋道立てて実行するのが苦手なので、途中で物事が頓挫してしまったり投げ出したりすることが多いのです。私自身も最初に掲げた目標を達成できず頓挫してしまったことは多々ありますし、もしこの「実行機能障害」を原因とするのであれば、これもまた安易に「努力不足」で叩くのはお門違いではないかと思うのです。
私自身、「弱者男性」という言葉を知り、それに自分自身も該当しかねないという事実に直面してから「努力」という言葉が少し嫌いになってしまいました。学生時代にスポーツをやっていた身としては「努力することが結果につながる」と信じてやまなかったのですが、大人になってはじめて努力がすべてではないと感じるようになりました。結果を出すためには、努力だけではなく運や才能なども必要なのです。それも知らず、結果を出せなかった人に対して「努力が足りない」と心無い言葉を投げかける人に対する嫌悪感が「努力」という言葉が嫌いになったきっかけなのかもしれません。
「努力は必ず報われる」。この価値観を盲信する人が「弱者男性」のみならず、結果が伴わず苦しんでいる人を余計に苦しめてしまっているのではないでしょうか。また、人によって「努力」という言葉の捉え方が違うため、的外れな「努力」の末挫折する人も存在しているように見えます。
「努力」という言葉は単に量をこなすだけではなく、工夫することも含まれるように思います。私の場合、量を積むことはできても頭をフル回転させて工夫することは苦手だったようで、量を積んだだけでただただ疲弊してしまうという経験を何度もしています。「努力」って目に見えない曖昧なもので、それを形にするのって本当に難しいんですよ。
過剰に求められる「男らしさ」
男性として生きている以上、「弱音を吐くな」とか「ちょっとしたことで泣くな、情けない」という言葉は男性のほぼ全員が投げかけられてきたと思います。しかし、男でも当然弱音を吐きたくなる時はありますし、泣きたいときはあるかと思います。「男はかくあるべきだ」という理想のみが独り歩きし、その理想にそぐわない男性が「弱者男性」と揶揄されるこの世の中はつくづく理不尽だと思います。
また、「弱者男性」は自責の念から自分自身を追い込むと言われています。私がまさにそうなのですが、恋人ができないことや仕事ができないことを自分の責任だとばかり思い込んでいました。「男は恋愛してその末に伴侶を得るのが当然」「男は汗水たらしてお金を稼ぐのが当然」、こういった価値観が自分を追い込み、さらには過去の言動にまでも後悔の念を抱くようになりました。
こうして過剰に求められた「男らしさ」が「弱者男性」を苦しめ、差別や分断を煽るようになりました。その要求に応えられていない男性が「自分は『弱者男性』なんだ」と自分を追い込み、あちらこちらに「弱者男性」が見られるようになってしまったように感じています。
世間的に弱い立場とされている女性に対しては様々な支援制度が確立されている一方で、低収入やなど弱者性を含む男性に関してはそのような制度がほとんどないのが現状です。さらに、世間の無理解から「『弱者男性』には居場所がない」というような認識がなされています。以前からの「男らしさ」という価値観から、彼らは声を上げても助けてもらえない(理解されない)という生きづらさに苦しんでいるのです。
「弱者男性」の当事者になりかねない私としても、周りに相談しにくく肩身の狭い思いをしています。相談したとしても恋人がゼロであることや、収入が低いことも「甘え」で片づけられてしまう可能性が極めて高いのです。「努力をしろ」と言われても、それが報われずに挫折してしまったことは両手では数えきれないほどあります。故に「生きづらい」という苦しみを理解されず毎日を過ごしているのです。
「男らしさ」という価値観を改めろと言っても、「男らしさ」はあくまで「理想」なのでそれは無理でしょう。ただ、全員にそれを求めるのはあまりにも酷だと思うのです。一人でも多くの方が「あれやこれができて当たり前」とか「あれやこれができないのは男として劣っている」という考え方を変え、弱い立場にある男性たちに対する理解を少しでも深めてくれるといいなというのが究極の理想です。
私自身、「弱者男性」という言葉を知って一年以上が経過しますが、この言葉にはかなり苦しんでいます。SNSでは「弱者男性」の当事者が声を上げていますが自分に当てはまる苦しみだけではなく、差別・分断を煽るような内容も多くて正直辟易しています。「努力」ができなくなってしまったことで上昇志向を失い、人生に絶望してしまったというのには同情の余地もあるのですが、「恵まれている人」に対する敵意をむき出しにすることで差別や分断を煽るのは好ましくないなと思います。
実際に「弱者男性」という言葉を知って生きづらさが倍以上に増えましたし、ストレスも増えて抑うつ状態の頻度も上がりました。30代を目前にして今が人生の底だという風に感じています。しかし、自分としてはこのまま終わる気はありません。まだまだ幸せをあきらめていません。そのためには「努力」も「工夫」も大事になってきます。言い方は悪いかもしれませんが、「弱者男性」というワードを今まで殻に籠りがちだった人生を変えていくきっかけにしなければなりません。
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