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【フレネミーのせい?】どうして自分だけダメなの!?

他の人なら許してもらったり、大目に見てもらっていたことがなぜか自分だけ「ダメ」と言われる。そんな経験をした読者の方、いるのではないでしょうか?

筆者もその一人で、特に友人から束縛されたり許してもらえなかったりしたことが多かったです。幼いころから大人になるまでずっと自分だけ「ダメ」と言われることが多く、今になって立腹しています。

今回は、「どんなことに対して『ダメ』と言われたのか」という一例を挙げるほか、自分だけ許してもらえなかった原因を探っていきます。



「フレネミー」とはなんぞや?

まず、見出しにある「フレネミー」という言葉について。初めて聞く方もいらっしゃるかと思いますので、軽く説明します。

フレネミーは、「friend」(友)と「enemy」(敵)を組み合わせた造語です。

友達のように親しげなときもあれば、敵のように攻撃性を発揮するときもある……味方なのかそうではないのかよくわからない関係の人を指します。

【フレネミーの正体】友達のフリをして攻撃してくるフレネミーの特徴と対処法|賢恋研究所|株式会社エニトグループ (enito.co.jp)

「フレネミー」とは上記の通り、「友達」でありながら「敵」でもある人間のことを指している造語です。

実際に私の周りには、友達という距離感であるにも関わらず自分を攻撃したり束縛するような言動をとるような友人がいました。

親しくしてもらった記憶よりも、こうして攻撃されたり束縛されたりした記憶の方が印象に残っています。

優しい性格で反抗できなかった私にも原因はあると自覚しているのですが、「こいつなら言うことを聞いてもらえるだろう」と下に見られていたのではないかと思います。

当時は「みんなから気に入ってもらおう」と振る舞っていたこともあり、拒否することができずに友人たちの言いなりになっていました。

さらに「フレネミー」に留まらず、社会人時代の同僚や上司からも自分だけ許してもらえないことがありました。

思い出すだけでも腹が立ってきますが、ここからは私が許してもらえなかったことの一例をいくつか挙げていきたいと思います。


「許してもらえない」ことの一例

①帰る時間になっても帰らせてもらえない

友達と遊んでいると、誰しも「門限」というものがありますよね。我が家では17時~17時半が門限でしたが、「まだ遊べるやろ」となかなか帰してもらえないことがありました。

子どもの頃から一人でいることが好きで、人の好さから友達からの誘いも断り切れずに無理やり遊ぶというのが日常になっていました。そんな中で帰ることも許されないのは自分にとってストレスでした。

他の友達は「あ、そうなんや。バイバーイ」で済むのに、自分だけ「まだ遊べるやろ」と縛られることに対し、当時は快く思っていませんでした。

何が嫌なのかというと、自分が知らない遊びに無理やり付き合わされることなのです。友人はその遊びを知らない私を「サンドバッグ」にして彼が満足する結果に持って行こうとするのです。

そして、自分が断れない性格なのをいいことにその友人が満足するまで私のことを留めておきたかったのだと思います。

ただ、友人と遊ぶこと自体が苦痛という訳ではなく、一緒に遊んでいて楽しいと感じる友人ももちろんいました。彼らは無理強いすることなく、こちらの希望も聞いてくれて私自身も楽しく遊ぶことができました。

こういう友人よりも、指示したり束縛する友人の方が多かったのが若かりし頃(小学校~高校)の筆者でした。

②怒った時、必要以上の制圧を受ける

若いころは感情の表現方法がわからず、怒った時などに大声を出してしまうことがありました。

この時、冷静に「落ち着けよ」と言ってくれる人がいればいいのですが、「なにしとんねん、コラァ!」「アホかお前はァ!」と火に油を注ぐような止め方をする人もいました。

もっとひどい時には私の首根っこをつかみ、至近距離で怒鳴りつけるようなヤツもいました。

他の人にはそんなことをしないような人間なのですが、私のようにおとなしい性格の子が怒ると高圧的にたしなめるのです。

適切に感情をコントロールできなかった私も悪いのですが、冷静に考えると逆効果でしかありませんよね?

強く言われると萎縮してしまう性格であることを利用していると思うのですが、少々やりすぎではないかと思っていました。

しかし、怒りに怒りで対抗するとそれ以上の反撃を食らうこともあり得ます。怒っている人に対してはできるだけ冷静に対処しないと、最悪命に関わる結果を招く可能性もあります。

③人にお願いしようとしても、「自分でやれ」

これは「フレネミー」とは少々違うかもしれませんが、会社で勤務していた頃によく経験したことを紹介させてください。

仕事で他の人の手を借りようとすると、「自分でやりなさい」「Konpeiくんに任せるわ」と返ってくることがよくありました。

基本的に自分でできることは自分でやるように意識しているのですが、いざ勇気を出して人にお願いすると「自分でやれ」と返ってくるのです。

他の人はどうにか相手の懐に入り込んでやってもらっているのに、自分だけやってもらえない。こういったケースを数えきれないくらい経験しました。

私の前置きが不十分だったのかもしれませんが、自分だけ手伝ってもらえないのはいささか理不尽に感じます。

考えられる理由としては、真面目な性格から「あいつならできる」という風に思われていたのかもしれません。また、仕事を覚えさせるのにあえて突き放したということも考えられます。

それでも、自分だけ手を差し伸べてもらえないとなるとかなり不安に感じるものです。

元々人に甘えるのが苦手だったのもありますが、社会人になっても自分だけ「ダメ」と言われることにはストレスを感じずにはいられませんでした。


元凶は「いじられキャラ」?

私は元々「いじられキャラ」というポジションを確立していました。今思い出すとあまりいいものではありませんが、当時はそれで好かれるならそれでいいと思っていた部分もあります。

「いじられキャラ」というのは、わりと親しみやすいイメージをお持ちかと思います。同時に頼みごとを断らない傾向もあるので、「言うことはなんでも聞いてもらえる」と思われがちでもあります。

私も実際に素直な性格で頼みごとを断れない性格です。そのため、自分に攻撃的になったり束縛する友人が「フレネミー」として自分の前に立ちはだかったのではないかと思います。

性格上、「フレネミー」を作ってしまうのは仕方のないことかもしれません。しかし、本当にイヤなことは強い言葉で断るべきだったと反省しています。

幸いなことに、法に触れるようなことを強要されたり指示されたりはしませんでしたが、やりかねない人間がそう遠くないところにいたのは事実です。

「いじられキャラ」自体は悪いものではありませんが、理想は「断る勇気」を身につけた「いじられキャラ」ではないかなと思います。

親しみやすさを持ちながらも、自分の意見を発信して自分を守ることができることが「フレネミー」を作らない最良の方法ではないかと思います。

最後に、筆者の経験をもとに一つ。

「いじられキャラ」ならまだいいほうです。誰からも相手にされないのが一番最悪なので…(笑)

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