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「人間関係リセット症候群」について語らせて!

お疲れ様です。今割と緊急でキーボード打っています(?)

先日、帰宅中にネットを見ていると、「人間関係リセット症候群」というワードがトレンド入りしていましたが、同じ経験をしてきた私として思うことや感じることが非常に多くありました。私自身も今現在、人生一と言っていいほど周りとのコミュニケーションに悩み、周囲とのズレに苦しんでいるところです。

今回は個人的に「人間関係リセット症候群」の原因だと思うものを2つ挙げさせていただきたいと思います。あくまで私自身の経験からの考えですので、必ずしもすべての方の賛同が得られることはないかと思いますが、「わかりみが深い」という方が一人でもいらっしゃたら嬉しく思います。

①「みんなに迷惑かけまくった俺のことなんてほっといてくれ!」

字面だけ見ると、学生時代に悪さばかりしてきたやんちゃ坊主が大人になってから言うセリフにも見えますが、私はどちらかというとガリ勉キャラでしたし皆が気にするほど迷惑はかけていないはずなのに常々こう考えてしまうのです。

理由としましては、ちょっとした言動でも「あの人、俺があの時言ったこと(やったこと)気にしてんちゃうか…?」と気にしてしまうからです。悪意のない言葉だとしても、「相手が嫌な思いをしているのではないか」とめちゃくちゃ気にしてしまうのです。確かに私は衝動的に感情の赴くまま突飛な行動を起こしてしまうことがあった(例:癇癪を起こしてしまう)ので、人によっては気分を害してしまったとは思います。さらに、相手の気持ちを汲み取るのが苦手という一面もあるので、相手が怒っているのか何も思っていないのかということもよくわかっていません。

結局は、私が勝手に「相手に迷惑をかけてしまった」と思い込んでいるだけなのです。思い込みのスパイラルにはまり、ズルズルと自己肯定感が下がった挙句、迷惑をかけた「責任」を取ろうとしてしまいます。背負ったかどうかも定かではない、思い込みによって生まれた「責任」を取る手段として、今まで築き上げてきた人間関係を一方的に断ち切ろうとしてしまうのです。

②「なんで誰も俺のこと認めてくれへんねん、もう知らん!」

私は前々から承認欲求が人一倍高い人間だと思っています。というのは、家族や親族からはかなり優しくしてもらった(悪く言えば甘やかされた?)一方で、友人や先輩・後輩など年の近い世代の人からは厳しいことを言われることが多くありました。このような経験が積もり積もって、「家族以外の人にも認められたい」という欲求が高まったのだと考えています。しかし、この受け身でコミュニケーションの仕方もよくわかっていない人間が認められた李褒められることはほとんどありませんでした。無理に目立とうとして、後々後悔した言動も山のようにあります。

完全なる「かまってちゃん」のできあがりです。「褒められない・認められない」というのは、私にとっては「嫌われた」とほぼ同じ意味を示しているのではないかと思っているのですが、我ながらかなり極端な思考回路をしているなと思います。今は「全員に好かれるなんて無理」と割り切れるようになりましたが、学生時代や社会人2年目くらいまでは「全員に認められなければならない!」というプレッシャーを自分自身にかけ、自分の首を絞めていたのです。誰も自分のことを褒めてくれなければ「嫌われた」と思い込み、自己嫌悪と周囲に対する罪悪感に苛まれ、思い込みによって生まれた「責任」を取る手段として築き上げてきた人間関係を断ち切ろうとしてしまいます。

この病気を治す術は今もわからない

この「人間関係リセット症候群」を治す方法は正直ありません。自分自身の気の持ちよう次第としか言いようがありません。

また、これだけ言わせていただきたいのですが、この「病」の根底にあるのは「思い込み」だと思います。自己肯定感が低いために周りからの評価を気にし、一度や二度の失敗が原因の思い込みによってありもしない批判を真に受け、自分を追い込むという悪循環が生まれているのだと思います。

いま現在「人間関係リセット症候群」に陥っている方々は一度「ネガティブな思い込みをやめる」ということから始めてみてはどうでしょう。中々難しいと思いますし、私も実践できていません。ですが、生きづらさや息苦しさを軽減するには大切なことだと思いますので、一緒に頑張ってみませんか?

あと、自分を認めてくれる人や大切に思ってくれる人との付き合いは大事にした方が良いと思います。卒業・退職した後も食事に誘ってくれる人、自分の長所に目を向けてくれる人。家族でも友人でもいいのです。すべての人があなたのことを嫌っているわけではないのですから、そういった方々にどこかで感謝の気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか?


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