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「自己犠牲にならない」やさしさ、について力説してみる

「ひとにやさしくしなさい」
「ひとのためを想って行動しなさい」

そう言われることに、
なんの疑いもなく育ってきた。

いま、風の時代だからか
「まずは自分を満たそう」というメッセージが
主流となりつつあり、
それで幸せひとが増えていると思う。

わたしもそれは本質だと思っている。

犠牲の上に成り立つ”やさしさ”は続かないし、
「やってあげている」親切はぎこちなくって
受け取る側にバレる。

でも「だからやりたくない親切はしなくてOK!」
ととらえてしまうのは、すこ〜し違うと思っている。

たしかに「やってあげる」「やりたくないのにやる」
よりかは「やらない」ほうがいいのかもしれないけど、

わたしは「やらない」と選択するほうが
後悔してしまうと思うのだ。

たとえば、職域上はやらなくていい仕事があるとする。
でも、誰かがやらないといけなくて、
気がつけば無法地帯になってしまうようなこと。
(あるよね〜)

なんだかんだやるんだけど、途中から
「なんでみんなやらないんだよ」と舌打ちしたくなる。

かと言ってそれを「放っておく」こともできなくて
やっぱりやってしまう。(あるよね〜)

そのときに
「ひとのために何かをできる自分をよろこびながらやる」
のマインドがあれば最強なのではないか?

だって、「やる」という選択をしている時点で
確実にいい女なわけじゃないですか。

それなのに「イヤイヤやってる」ことによって
「やっていない」ひとよりも不幸になるのって
勘弁してよ!って話で、そんなのナシでしょ!

文句を言ってしまうことで、
やらない人より報われないってなったら割に合わない。

「やってない」ひとに対抗するわけじゃないけど、
もし「あ〜誰かのためにできてるわたし最高ダワ〜」
って思いながらやれたら

「自分を満たす」が先にきつつも
「ひとのため」になっているんじゃないかしら!

「ひとのために」って自己犠牲を働くのではなく
「ひとのためにできてるわたしを誇る」

文句を言いながらやるのではなく、
ひとのためにできてる自分でいると
選択したことをよろこぶ。

だってそんなやさしい自分、
どうしたって誇るべきだし
そう思えたら清々しく自分が満たされる。

そして、これは最近気づいたことなのだけれど
意外と「やりたくない親切はしない」と選択するひとが多い。

つまり親切を選択しちゃうのがふつうのあなたなら、
抜けがけのチャンスじゃない?

あなたのやさしさは「ふつう」じゃない。
自己犠牲にしない選択肢が、きっとある。

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このつき
お返しの愛は無限大、一緒に幸せに貪欲になりましょうね!!