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東京サルベージ【第36回◾️背中】

少し前のことだが、夏に母が脚の付け根を骨折してひと月ほど入院した。
雨の日にスーパーのフロアで滑って転倒したとのことだった。
周囲が止めるのも聞かずに、車を運転して帰宅したものの、救急車で病院送りとなった。
転倒して騒然としている、そんな恥ずかしい状況で救急車に乗りたくない一心で、骨折をおして脂汗をかいて車に乗って帰ってきたことを電話口で父は酷く怒っていた。
事故でも起こしたら大事である。
そりゃそうだろう。満足にブレーキを踏める状態ではないのである。
家から救急車に乗っても同じだと思うのだが、そういった見栄をとことんはる人なのだ。
ムキになって家まで帰ってきたのだ。

母はとんでもなく早歩きの人だった。
子供のころ、新宿の地下街で歩く速さについていけず、迷子になりかけたことがある。
何かスポーツをやっていたわけではないのに、小股で物凄いスピードで歩くのだ。
すぐムキになる性格だから、歩くという目的があるとムキになってしまうのだろう。

私は、母は転倒とかそういったものとは無縁のヒトだと思い込んでおり、動揺した父からの電話をうけたときに信じられない思いだった。
近年にないくらい呆然とした思いだった。

「あいつは骨が折れているのに車運転して帰ってきやがったんだよ!」

父も相当に動揺したのか、何度もそのことに憤っていた。
入院した母に電話をかけると、「これで父も少しは父も家事を覚えるだろう」と言った。父は母がいないと何も家事ができないのだ。コンビニに弁当を買いに行くのがせいぜいの人なのだ。

そういえば早歩きの母の右足首には元々ボルトが入っていた。
学生のころスキーで転倒して骨折し、ゲレンデから病院送りになった古傷である。あのように見栄をはる人には屈辱的な経験だったろう。
今回の転倒は、足首の自由がきかない癖に早歩きをしていたムリがたたったのだろうか。
「あいつはいつまでも若い気でいるから気をつけろと俺は言っていたんだ」と父がぼやいていた。もう70をいくつか過ぎているんだ、と。

退院して顔を見に行くと、母は意外と元気で、ノルディックウォーキングの仲間が、リハビリがてらにと誘ってくれるが、片脚はまがらなくなったが歩行には問題ないが、前のようにはウォーキングはできないだろうし行きたくないとこぼした。きっと、この人だったらそういう風に思うだろうなと思った。
さらに、最近父の背中が曲がって死んだ婆さんのような歩き方になって困ると文句を言った。
母が歩く姿を暫く見ていたが、母の背も少し前より曲がっていた気がしたが私は黙っていた。

幼稚園のときに、父母が入り混じってのドッチボール大会が行われたとき、ムキになった母は他の父母を圧倒し当てまくっていた。
ピアノをやっているせいかやたら握力と手首が強い母は、投げるボールが強く、遊び半分の父母を相手に容赦がなかった。
母が無双する姿を見て私は恥ずかしいやら、居心地の悪いやらだった。
息子の私は、ちょこまかとひたすらボールから逃げる専門だった。

駅まで歩いていくという私を車に乗せて、運転する姿を横目に私はそんなことを思い出した。

取材、執筆のためにつかわせていただきます。