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【無料記事】外向きの行動

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Pexels による Pixabay からの画像

【注意】
能登半島地震・東日本大震災に関する記述があります。


 今年の元日に発生した災害に際して、SNS にデマが溢れた。

 いわく、家が崩壊して圧し潰されて逃げられない。すさまじい津波が到達した。募金を集めているのでこのリンクにアクセスしてほしい。

 彼らが何を求めて虚偽の投稿をしたか、実を言うと私はその点に関する興味をほとんど持っていない。
 私が注目しているのは、デマを目にした一般の人々の反応だ。

 投稿に対するリプライは多く、また内容は様々だった。
 災害発生直後は、「警察や消防に連絡は取れませんか」「拡散協力します」「すぐ救助が来るので頑張って」といった同情的な内容がほとんどを占める。
 時間が経って、この投稿がデマだと判明すると今度はここに書くのも憚られる内容に変わった。

 初めは、危機に際した誰かを助けたいから。
 その次は、人の生命が脅かされている状況を利用する者たちが許せないから。
 返信、という行動の背景にあったのは、おそらくそのような感情の流れだ。

 同じような行動を、私は十三年前にしていた。
 自宅に散乱した物を片付けるともうすることがなく、私はひたすら街を歩いていた。

 市街地はがらんとしていた。照明はすべて消えていて、壁にはところどころ罅が入っていた。三角コーンで囲ってある箇所もあった。

 店先に鍋を持ち出して炊き出しをする居酒屋があれば、ショッピングビルの入り口では長机と電源タップをずらりと並べて即席の充電スポットを提供していた。

 私はそのような景色を、ひたすら SNS に投稿していた。誰かの助けになればいいと願って。

 今考えれば、軽率とも言える行動だ。

 見ず知らずの他人が投稿した内容を信頼することはただでさえ危険だし、さらにあのときは人の生存がかかっていた。自宅がだめになって何日も飲まず食わずであった人が、誰かが投稿した炊き出しの情報を頼りに赴いたら実は真っ赤な嘘だった、ということだって起こり得る。
 もっと単純な話で言えば、当時は延々と余震が続いていたし、積極的に外に出るべきとは言い難い時期だった。

 結局、自分が責任を取れるのは自分のことだけだ。
 誰かのため、という意思は尊いものだが、この事実を覆すまでには至らない。

 非常時こそ、あえて外向きの行動をしない。良い悪いに関わらず他者への働きかけを行わない。自分の身を守ることに専念する。
 そういう判断も大切かもしれない。


 そしてここまでの記述と完全に矛盾するが、募金を目的としたエッセイをひとつ一月に公開した。現在も販売を続けている。
 売り上げの全額を募金に充て、振り込みや販売サービスの使用に係る手数料は筆者が負担する。

エッセイ「鍋を煮る」を販売します|此瀬 朔真

エッセイ「鍋を煮る」続報・寄付金振り込み完了しました|此瀬 朔真


 これが外向きの行動でなくて何なのか。反省していないのか。
 そう問われれば返す言葉もない。
 そういった弱さを一生引き受けながら生きていくのだろうと思っている。


BGM
ブラックアウト - ASIAN KUNG-FU GENERATION


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