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直感を受け取るチャネルとは?

ARUNの新しいオフィスの近くにある小石川後楽園。その庭園に面した灌徳亭(かんとくてい)というお茶屋さんを15年ぶりに再訪。ここで、来日中のステファン・メルケルバッハ氏によるソース原理・ソースワークのワークショップに参加しています。

ソース原理については改めて書くとして、今日は簡単な備忘録を。

まず、前提として、ソース原理によると、
「ソースパーソンは、アイディア、直感、インスピレーションを受け取るもので、オリジナルで生み出したものではありません!」

これを知った時、ソース原理を身近に感じました。オリジナルを捻り出す必要はなく、適切なタイミングで直感を受け取れば良い、と聞くと、なんだかできそうな気がしませんか?

私たちは直感を二つのチャネル(パイプ、と言ってもいい)から受け取っているといいます。一つは水平方向のチャネル、もう一つは縦方向のチャネル。水平方向というのは、他の人から受け取るもので、ニュースやラジオ、本を読んだりウエブサイトなどから受け取る情報。他方、縦方向というのは、どこからその情報を受け取っているのかはっきりしない直感やインスピレーション、つまり、チャネル(パイプ)の反対側に誰がいるのかわからないようなものだそうです。(そしてそれは、ソースワークの持つスピリチュアルな側面を表しているとも)

自分にとって直感を受け取ることができるのはどんな状態の時かを思い浮かべてみました。道具としてクリアな詰まりのない状態、声楽家の身体が音楽を表現する楽器であるように、受け取ったメッセージを通す管のような存在、がそれかもしれない、と思いました。そして「アッシジの聖フランシスコの平和の祈り」を思い出しました。

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから

*聖フランシスコ(1182-1226)は、イタリアのアッシジで生まれ、清貧と奉仕の生活を実践したカソリックの聖人。自然を愛し、フランチェスコが説教を始めると、鳥たちが舞い降りてきて聞き入ったという逸話が残っている。

Make me a channel of your peace
Where there is hatred let me bring your love
Where there is injury, your pardon Lord
And where there is doubt, true faith in You.

Make me a channel of your peace
Where there's despair in life let me bring hope
Where there is darkness, only light
And where theres sadness ever joy.

Oh, Master grant that I may never seek
So much to be consoled as to console
To be understood as to understand
To be loved as to love with all my soul.

Make me a channel of your peace
It is in pardoning that we are pardoned
It is in giving to all man that we receive
And in dying that we're born to eternal life.

音楽もあるので、ぜひ聞いてみてください。

ソースの探究の旅は続きます。

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