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言の葉を縫うように遊ぶ

編み物をした事があるだろうか。

私はたしか家庭科の授業で、ナップサックを作った気がする。行けなかった分を家で一人で教えてもらいながら作ったのをよく覚えている。

ぼびんやチャコペンは横に置くとして

縫うという作業は、例えば並縫いでは、布に針を使って糸を通し、表、裏、表、裏と手が動く。

手を何周も動かすことで、丈夫な線となり、それが面になる。

何が言いたいかというと

言葉も同じだということだ。

既にある言葉を、経験という糸で何周も編むように繋げ、より丈夫なものとして創り上げていく。

経験には偶然と思えるきっかけがあり、その一点から線や面を創る事ができる。

そして時にそれは高さを得る。

必ず、という訳でもないらしいが、編んでいる当の本人にはそれが高さを伴っていることはなかなか分からないらしい。

高さがあると形を得、形を得ると重さを伴い、喜びと共に誰かを押しつぶしていたりする。

それが良いことか悪いことか、私にはよくわからない。

ただ一つ言えることは、そうすることが私の喜びだということだ。

意味というのは、それだけで十分だ。



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