初鉄道小説 「車窓」 公開します。
「車窓」
コノハナ きょうこ
いつまでも見飽きない景色がある。
流れる四角い田んぼの田園風景。絵に描いたような白いトラクター。麦わら帽子の自転車の老人。瓦屋根の日本家屋に柿の木。沿線の花畑には蝶々が舞っている。枝が伸びすぎていて列車の窓に迫る樹々が、ぱちぱちと枝を当ててくる。通り過ぎる風の中の、繰り返される風景。
「いいねぇ、この景色。いくら見ていても飽きないね」高橋敬子は、車窓を長めながらうっとりと言った。向かいの席に座って自分と同じように景色を眺めていた宮田香奈枝が、微笑んでうなずく。
「そうだね。こういう景色って見ているだけでいいのよね。癒しだわ。コロナコロナで全然旅行にも行ってないから、久しぶりに乗れて嬉しいわ」食べかけの駅弁を膝に乗せたまま、香奈枝が言った。敬子も大きく頷いた。
高橋敬子は今年五十五歳。伊能忠敬が日本全国の測量の旅に出発した年だ。敬子は身長が一六五センチで大柄で丈夫なので、忠敬さんと同じくらいまでは歩けるつもりでいる。相棒でママ友の香奈枝は敬子よりも三つ若い。二人共カジュアルな服装で五月の列車の旅を楽しんでいた。
この日二人は、千葉県のローカル鉄道の、小湊鉄道のトロッコ列車に乗っていた。この先の駅でいすみ鉄道にも乗り継ぐ予定で『房総半島縦断切符』での日帰り旅だった。五月晴れの空の下、こうして気の合う友と乗りたい列車に乗って同じ車窓を眺めている時間は、敬子にとって、かけがえのない時間だった。
ガタン、ガタン!と、トロッコ列車の客車が大きく揺れる。速度はゆっくりで、音も心臓の鼓動に近いリズムで心地よく癒される。草や土のにおいのする風に吹かれて肩までの髪が舞い踊る。敬子は髪をゴムでまとめた。
車両は、誰か大切な人に会うまでの楽しみを味わう空間でもあり、過去にどこかで車窓を眺めていた自分を思いだす箱でもある。
鉄道はタイムマシン。車窓はそのスイッチかもしれない、と敬子は思う。
今が大切だ、夢ばかり見ないで現実を見ろ、とよく人は言う。でも思うようにいかない現実に打ちのめされそうになった時、敬子はいつもこのタイムマシンに助けられた。流れる車窓を目で追いながら、敬子はその頃のことを懐かしく思い出していた。
十年前。当時四十五歳だった敬子は、東京の世田谷区の中でも活気がある駅前商店街がある街に、家族四人で住んでいた。夫の昌行と、中一で吹奏楽部を頑張っている娘、小四のやんちゃな息子。この四人で狭いながらも楽しい我が家で、ぎゅうぎゅうと賑やかな毎日を過ごしていた。敬子は地元の商店街でパートで働きながら、子ども達の成長を少しでも一緒に味わっておきたいと、小中学校のPTA活動にも積極的に参加していた。不器用ながらも家事と育児と仕事とを必死にこなし、いつもあっという間に一日が過ぎていった。
気が付けば敬子は、結婚してから十五年間のほとんどを、自分の家と、パートの職場と、
子どもたちの学校や習い事、という『地元トライアングル』のみを自転車でぐるぐると周り続けていて、最寄駅から出られない、いわゆる『引きこもり主婦』になっていた。
そんな敬子に、ある休日、夫が飛び切り素敵なプレゼントをくれたのだった!
それは、物ではない、お金でもない。優しい言葉でもない。今後の敬子の人生のの生きがいにつながる、一つの提案だった。
「敬ちゃん、面白い番組があるんだけど一緒に見ない?すごく変な人たちが、電車に乗っている番組だよ」そう言って、夫は録画してあった『乗り鉄!トラベラーズ』という番組を敬子に見せてくれたのだった。
『銚子電鉄』というローカル線に、大柄の丸いメガネをかけた三十代前半くらいの青年と、小柄で素朴な印象の二十代後半くらいの女の子の、二人連れの男女が、楽しそうに乗り込んでいく映像から番組は始まっていた。二人は発車する前から大はしゃぎ。車両内のあちこちを触り、しまいには木の床に膝まづいて耳を当て、モーター音を直接聞いて「おおーーっ!」と声を上げて喜んでいる。
(なんなのこの人たちは?お行儀が悪い!)
最初の敬子の正直な感想。だけど……
(嫌じゃない……かも)
そんな自分の気持ちに驚いていた。
(あれ?大人でも、ちゃんとしなくていいの?電車で騒いだら普通怒られるよね?窓の外を見てこの変な人たちは歓声をあげてはしゃいでいる。駅を降りてからも去っていく電車に手を振っている。こんな子どもみたいなことをして恥ずかしくないのかしら?)
「汽車汽車しゅっぽーしゅっぽーしゅっぽっぽー!!」
しまいには男のほうが歌い出した!両手を車輪のように肘を脇腹でグルグルさせながら。(この人たち、歌い出したよ。ありえないありえないありえない、ひーっ!)
横で見ている夫と一緒に、身をよじり涙を流して大笑いしながら、その時、敬子の中の何かが、パリンと音を立てて割れた気がした。それは『ちゃんとした大人の仮面』だった。
敬子は結婚して家庭を持ってからずっと、この仮面を付けようとして頑張っていたのだ。だが半分ズレて下から本来の途方に暮れた困った顔が覗いているのに、必死にごまかしてまた被ろうとしていた。母として妻として女性として、こうあるべき!という理想像は、本来の自分とはかけ離れていたのに……。
子どもの頃、敬子の両親が離婚して再婚した。敬子は母親の連れ子として、義理の父にも後から生まれた弟にも遠慮して、実家では居場所がないとずっと感じていた。だからこそ、自分が結婚したら、必ず温かい家庭を築いて理想の良妻賢母になり、子どもや夫を守って幸せにしようと夢見ていた。ところがいざ結婚生活を始めてみると、理想と現実は大きく違っていた。敬子は家事全般不器用で、育児と家事をこなしきれず余裕がなくなり、子どもにもすぐに怒りがちだった。こんな時『ちゃんとしたお母さん』だったらどうするんだろう?と、よく心の中で問いかけていた。
だがこのとき、この画面の二人に
「ちゃんとしなくていいよ!」
と、そう言ってもらえたような気がしたのだ。
大人でも、子供みたいに遊んでいい。ちゃんとしなくてもいい。だって大人でもこんなに楽しそうに、ただ電車に乗っているだけで喜べる。遊べる。笑えるんだ、と。そう見せてくれた二人の姿が、とても素敵に思えた。
敬子は子どもの頃のことを思い出した。
まだ自分が保育園のころの、母がまだ再婚する前。東京の葛飾の家で、母と二人で気楽に暮らしていた頃のことを。
母と二人で並んで電車に乗っていた時の思い出が敬子の脳裏によみがえっていた。
『京成高砂駅』から、クリーム色と赤のツートンカラーの京成電鉄の電車に乗り込む。ロングシートの席に母と並んで座る。敬子は、席に着くやいなや、さっと靴を脱ぎ後ろ向きに正座をして窓におでこをくっつけて外をみた。
「窓を少し開けてーー」と、敬子はよく隣に座っている母親に頼んだ。小さい手の敬子には、重たい窓を開けるのは難しかった。母は少し面倒そうに、爪切りみたいな両端の金具を指でぎゅっと抑えながら、いつも少しだけ窓を開けてくれた。少しの高さ開くだけで、走る電車の窓からは、ものすごい風がぶわっと入ってきて敬子の前髪をハチャメチャに躍らせた。風が顔中にあたるのが気持ちいい。景色がどんどん流れてゆく。敬子はワクワクしながら夢中で眺めていた。
いくつかの駅を停車して過ぎた頃、突然、
「ゴーーーッ」と、大きな音とともに窓の外が真っ黒になる。押上駅の手前のトンネルから地下に入ったのだ。そのとたん、窓から入ってくる風のにおいは変わる。少し焦げた水のような、耳鼻科で鼻に塗られる茶色い薬のようなにおい。トンネル内に響く轟音と、生暖かく変わった風のにおいが、自分と母親が今、暗い地下に居ることをはっきり感じさせる。じわりと不安がこみあげる。
「もういい。窓を閉めて」ここで敬子は、母親に重い窓を降してもらう。それで少しホッとして、またおでこを窓につける。だんだん目が慣れてくる。コンクリートのトンネルの壁と、血管のような太いコードのようなものが浮かんで見えてくる。途中、駅が近づくと、トンネルはふわっと白い電気の光で明るくなる。それでも地上を走っていた時とは全然違う明るさだ。敬子は余計に外で見ていた景色が恋しくなる。早くまた見たいと思う。そうして帰りはまた、地下から地上に出る瞬間を楽しみに窓を覗き込むのだった。夜になって外が暗くなっていても、地上に出た瞬間は一番ほっとする。電灯の明かりが流れて見えるだけで安心して嬉しかった。そこまでがいつもの敬子の電車のお楽しみだったのだ。
ところがいつからか急に、母は敬子が座席に後ろ向きに座るのを制止するようになった。
「お行儀が悪い!やめなさい!ちゃんと前を向いて座るのよ!」その声とともにピシャン!とふくらはぎを叩かれる。
「外が見たいの!」「ダメ!」と、乗るたびに何度かこのやり取りがあって、結局敬子はあきらめた。前を向いておとなしく座る。だが目に入るのは向かいのシートに座っている知らない人ばかり。すぐに退屈になって早く着かないかとばかり思うようになった。
「あと何駅?」「あと何分?」と、早く降りたくて、電車に乗るたびに母に何度も聞いては、面倒がられた。
敬子の子どもの頃の、東京での車窓の思い出は、ここで終わっていた。
(ああ、私は、あの頃までは、電車を楽しんで乗っていたんだわ)敬子は驚いた。自分でもこんなこと全く忘れていたのだから。夫は、ただ軽い気持ちでこの番組を敬子に勧めたのだろうが、敬子にとってはパンドラの箱を開けたようなものだったかもしれない。
「ねえ、この電車に乗りに行きたい!一緒に乗りに行きましょうよ」と、敬子は思わずテレビに指をさして夫に言った。ところが、夫の答えは思いがけないものだった。
「えー、やだな。こんな遠くまで行くの。面倒くさいよ」
「えっ?乗りに行きたくないの?電車好きなのに?どうして?」敬子は心底驚いた。当然答えはイエスだと思っていたから。夫はパソコンでも電車の走行映像をよく観ていたので、当然喜んで乗るだろうと思っていたのだ。
「ああ俺はね、こうやって映像で見ているだけでいいの。だって乗りに行くとお金も時間もかかるし疲れるから。面倒くさいじゃない?見ているだけで俺は十分満足なの」
「ええーっ!そうなの?」
「誰か友達でも誘って、行ってきて下さい。」と、のんきな顔で夫は言った。ずんぐりした、人のいい感じのにじみ出ている夫の笑顔を見ながら、これは仕方がない、とすぐに敬子は観念した。とにかく素直で正直な人柄に惚れてこの夫と結婚したのだ。素直な本音の前には、ほぼ交渉の余地はない。その本音が自分のニーズとは違っていても、その違いを認めて受け入れるだけだ。夫がいつも自分にそうしてくれているように。
(誰か一緒に行ってくれる人いるかなあ?)
元々、一人では喫茶店も入れないのだ。鉄道の乗り鉄なんて一人で行けるはずもない。
この時、娘は中一、息子は小4だった。敬子の交際範囲は子どもの学校関係のママ友にほぼ限られていた。学生時代からの友人もいたが、ただ電車に乗って移動しようなんて遊びには多分興味はないだろう。
(ママ友さんだって、知り合いはまあまあ増えたけど、みんな忙しそうだし……)
敬子は過去に何度か学校の保護者同士の付き合い方で、距離感がわからず苦労したことがあった。もちろん楽しいこともあったが失敗も多かった。余計な失敗をしたくなくて、敬子は逡巡していた。
『神崎です。広報誌の原稿が出来たので、ちょっと確認してもらえませんか?』
敬子の携帯にこんなメールが来たのは、それから数か月してからの、紅葉が綺麗な十月下旬だった。メールは中学のPTAの広報委員で同じ一年生の保護者の神崎智子からだった。小柄でショートカット。さばさばしていて、面倒な仕事も率先して引き受けてくれる。尚且つ仕事が早い、出来る女という印象で、下に年子で小六の息子がいる男の子二人のお母さん、という認識だった。
この日は秋晴れで、敬子の団地の二階のベランダからは、黄金色に紅葉した銀杏並木が青空に映えて綺麗に輝いていた。隣に見える公園の樹々も、緋色と黄色、茶色と緑との四色のハーモニーが見事だった。
(あの公園のベンチでゆっくり紅葉を眺めながらお茶でも飲みたいけど……大人が一人で公園のベンチで座っていたら、変に思われるよね……。誰か一緒に座ってくれないかなぁ)
ちょうど敬子がそんなことを思っていたところに来た神崎智子のメールだったのだ。しかも彼女の家はすぐ近く。公園に来るのもさほど負担にはならないだろう。敬子は思いきって誘ってみることにした。
『神崎さん。原稿、早速ありがとうございます。高橋です。確認したいのですが、天気もいいので家の隣の公園のベンチで、紅葉でも眺めながら打ち合わせしませんか?お茶とお菓子持参します。いかがでしょうか?』
「いいですよ。行きますね」ドキドキして待つ間もなく、神崎智子からの返信は即答だった。やったあ!と敬子は思わずガッツポーズをとった。
三十分後、敬子と智子はキリンの柄の滑り台がど真ん中にある、通称「キリン公園」のベンチに並んで座っていた。二人の間には、敬子が持参した紅茶がたっぷり入ったポットと紙コップ、お菓子が置かれて、ちょっとしたピクニック状態なっていた。
「本当に綺麗ですねぇ。銀杏並木も見ごろですね。誘ってもらってよかったです」気持ちよさそうに智子が言った。
「ねえ神崎さん、実は私、最近、電車に乗ってみたいんですよね。どこかへ行く、というよりは、電車に乗って景色を見たり、終点はどうなっているのかな、って気になる路線を端まで乗ってみる、とかしてみたくて……」
ひとしきり中学校のこととか、原稿の確認などをして、ふっとお互いの話が途切れた時に、敬子は意を決して話し始めた。夫と見た乗り鉄の番組のこと。銚子電鉄、小湊鉄道、いすみ鉄道、の沿線風景が素敵だったこと。何よりも乗り鉄、という『電車に乗ること自体が目的』という非効率的な遊び方にとても惹かれたこと。自分は引きこもり主婦歴十五年で一人では行ける気がしないが、誰か一緒に出掛けてくれれば行ける気がする。等々。
「えっ行こうよ。全然行くよ、私」と、智子はみなまで聞かなくても分かった!とばかり、少し言葉をかぶせ気味にあっさりと答えた。
「え、いいの?」敬子は驚いてしまった。どうやら智子は今まで出会ったママ友とは違うタイプだ、と、薄々感じていたことが確信に変わった瞬間だった。ビンゴ!心が躍った。 智子はさらに言った。
「私ね、夫が転勤族だから、ここに越して来たんだけど、三年でまた転勤になると思うんだよね。だから東京にいるうちに、いろいろ見ておきたいってちょうど思ってたの。私は一人でもどこでも行ける人だけど、敬子さんが行きたいところがあったら、どんどん行こうよ!一緒のほうが楽しいしね。電車、私も好きだよ。前に静岡で子育てしていた頃に、飯田線の秘境駅「小和田駅」で降りたもん。子ども連れて。双子のベビーカーよ。それ押して降りたら、車掌さんが『ここで降りるんですか?』って変な顔してたなあ。私、そのころ一人で年子の赤ん坊二人を育てていて、大変でもうノイローゼになりそうだったから、なんか無茶したかったのね。意地になって降りちゃった!そうしたら待合室の先はすぐけもの道!本当に何もなくって、自動販売機もお店もなーんにもないの!唯一リュックに赤ちゃんせんべいがあって助かったよ。赤ちゃんせんべい。二時間後にやっと電車が来た時には、ほんとうにホッとしたよ」
笑いながらこともなげに言う智子の色白で卵型の顔を、敬子はまじまじと見た。上品な京風の顔立ちで、細い眼はクールな印象で、あまり表情を動かさないが、瞳の奥がいたずらっ子にように光っていた。
(こんな冒険家がいたなんて!運命の出会いだわ……)敬子の頭の中を、子どものころ見たカルピス劇場の【あらいぐまラスカル】のテーマソングが流れた。
〘神様ありがとう、僕に友だちをくれて!〙
心の中でそう歌いながら、銀杏並木を見上げた。揺れる黄色の葉が勇気を出して一歩踏み出したご褒美のように光って見えた。冒険の始まりの予感。敬子はとてもワクワクした。
それからしばらくして、敬子は智子と毎週のように計画を立て、電車に乗りに行った。
子どもが同じく中学生と小学生で、帰りたい時間帯も大体一緒で、近所だからお互いタイムラグが少なく計画も立てやすかった。
「多摩モノレールの終点まで行ってみたいって、ずっと思っていたんだけど……」と恐る恐る敬子が言うと、
「行こう」と、あっさりと智子が言う。
日を決めてフリーパスを買って、多摩センター駅から多摩動物園駅、高幡不動駅、と多摩丘陵の緑の中を、高低差を楽しみながら乗る。途中下車して高い所にあるレールを見上げ、遠くからだんだん近く大きくなってくる車体を見て、ワクワクしながら写真を撮る。ランチや、気になるスイーツのお店などは事前に軽くリサーチ。でも予定はあくまで予定で現地で変更や開拓も全然ありだった。
「わーっ。モノレールの終点って、こんなふうにレールが空に飛び出しているのね!珍百景だねぇ!ずっと見ていたいわぁ」
敬子は見るもの全てが新鮮だった。終点の上北台の駅で、敬子が興奮してはしゃぐのを、五歳年下の智子が、面白そうに笑って見ている。智子はあまり喜怒哀楽を表に出さない。静かに楽しんでいるタイプだった。敬子にはそれが頼もしく映った。ありがたい仲間だった。
「いよいよ次は銚子電鉄に乗りに行こうか」
二人で何度かの都内近郊の乗り鉄をしてみてから、今度は智子のほうから敬子に、こう切り出してきた。
「いいの?」敬子はすぐ怖気づく。
「だって行きたいんでしょう?最初から言ってたじゃない。それに私も行きたいし。もう練習もいいでしょ。12月になる前に行こうよ」いつも通りのあっさりとした言い方だ。子どもの時から怖がりで、引きこもり主婦歴も重なり、何にでもすぐびくびくしてしまう敬子は、智子のこの話し方が好きだった。平坦で安心するのだ。自分が五つ年上でも、精神年齢は絶対に智子のほうが上だろう、と、敬子は自覚していた。そして、この出会いに何度目かの深い感謝をした。
「ありがとう。じゃあいよいよ行きましょうか!」自分の臆病さを振り切るように、敬子はガッツポーズをした。
念願の銚子電鉄への乗り鉄旅は、三日後の木曜日に決まった。翌日は夫が休みだったので、敬子は夫にプランなどを相談したかった。夫が午前中床屋に行った後、待ち合わせして外でランチをしようと提案して、自分もその間に銀行などの用事を済ませた。待ち合わせ場所の地元の小さな本屋に敬子が着くと、もうそこに夫の姿はあった。大柄だからすぐに見つけられる。夫は旅行関係の本があるコーナーで、雑誌を読んでいた。
「お待たせ。さっぱりしたね」と、敬子は夫に声をかける。夫は床屋に行った後は、かなり髪が短くなるので本当にさっぱりする。くせ毛だから少し長くなるとすぐに襟足がクリクリしてしまうのだ。
「あ、敬ちゃん。これ、敬ちゃんが好きそうな本だと思ってさ。どう?」と、夫は黒縁の眼鏡の奥の柔和な目を敬子に向けて、手に持っていたB5版サイズの平たい本を敬子に手渡した。
「鉄……さんぽ?」敬子は本を手に取った。その表紙の写真に目が釘付けになる。青空と菜の花畑の間に、黄色くてかわいい車両が走っている。そして、この菜の花と同じ黄色い文字で「鉄さんぽ」と本のタイトルが上部に大きく書いてある。表紙をめくると目次。さらに次のページに「銚子電鉄」という黒くて太い文字が、緑のトンネルの中をこちらに向かって走ってくる赤茶とこげ茶色のの銚子電鉄の写真とともに目に飛び込んできた。
「これって……」敬子は、自分よりも少し背が高い夫を見上げた。
「これ好きっていうだろうな、って思って。ほら、銚子電鉄も載っているし、地図とか時刻表付きのモデルコースあってわかりやすいでしょ。このコースで行けば?あと、いすみ・小湊鉄道とか、根岸線とかいろいろ。これ一冊で色々行けそうだよ」
「昌さん……」敬子は目頭が熱くなった。
実は、もしかしたら、本当は妻が友達と遠出の鉄旅に行くなんて夫は快く思っていないかもしれない、と、敬子は少し不安だったのだ。もし反対されたら行けない、とも思っていた。なにせ、千葉県だ。突っ外れの地だ。結婚してから十五年。長野の良人の実家への帰省以外に、ほぼ東京都から出たこともない。こんな敬子にとって、銚子電鉄に乗りに行くということは、やはり相当ドキドキする冒険なのだ。反対なんかされたら、秒で諦めてしまっただろう。
なのにどうだろう。夫は反対するどころか、敬子を待つ間、本屋で敬子が安心して行けるように、最適なガイドブックを選んでくれていた。しかもそれは、また次、また次の鉄旅、と行きたくなることを想定して本をチョイスしてくれている。普段はそっけないくらいの、喜怒哀楽をあまり出さない夫だが、とても自分のことをわかってくれていた。もちろん快く、敬子の冒険旅を、背中を押して送り出してくれようとしているのがわかった。ポンコツ妻でもこんなに大事にされているのだ。このままの自分でも。敬子は本当に嬉しかった。
「ありがとう…。これ買うね!銚子に持って行ってこの通りに回ってみるよ。すごく気に入っちゃった。『鉄さんぽ』って、素敵な言葉だね!」言いながら、敬子は泣きそうになってしまい、急いでレジに向かった。「鉄さんぽ」をそっと大事に両腕に抱えながら。
「いい天気だね。よかったね~私たち運がいいね!」
二人の「初・銚子鉄さんぽ」の当日、銚子までのJR総武線快速とJR成田線に乗りながら、敬子は何度もこう言った。念願の銚子電鉄だ。幸先がよくて嬉しかったし、とにかく乗っているだけで楽しかった。同行の智子とも、片道三時間半の道中、育児の悩みとか、お互いの生い立ちや、夫婦のなれそめなど、色々なことを語り合った。お互いに家族の苦労が多かったこと、自分の力で生きてゆくと覚悟を決めて、仕事も結婚も育児も、自分なりに歯を食いしばって頑張ってきたことも。でも少し疲れてもいて、家庭のことだけで手いっぱいな自分に、なにか『楽しむ』ことだけが目的の、一見意味のないようなことがとても必要だったこと。悩んでいたのは自分だけではなかったのだ、と敬子は理解した。
車の旅だと、相手の運転の邪魔をしてはいけないと、話しかけるのも遠慮してしまうがその点電車はいい。気兼ねなくお互いが平等でいい。乗ってしまえばあとは寝ていても、ボーとしていても目的地に運んでくれるのだから。電車とは本当にありがたい乗り物だと敬子はしみじみと思った。
銚子駅はJRの終点だった。駅に降り立った時、静かな感動があった。大きな醤油の樽のオブジェがあり、隣接している銚子電鉄のホームは歩いてすぐ。映像で見た通りの、羽根のない風車のゲートをくぐると、赤茶の銚子電鉄の車両が停まっていた。駅員からフリーパスである小回り手形を買った。
「この時計がいいね!」敬子は携帯のカメラをホームの時計に向けた。駅の時計は好きだ。ここから時間が変わっているみたいだ、と敬子は思った。そこからは見るもの全てが素晴らしかった。特に終着駅の「外川駅」に降り立った時の感動は、その後の敬子の人生を大きく変えてしまうほどのものだった。
「すごい……本当に来ちゃった。銚子電鉄の終着駅。電車でたった三時間半で、こんな昭和の世界に来れちゃうなんて……世界って狭かったんだね。電車ってすごいね。魔法のタイムマシンみたい。乗せてきてくれてありがとう!って気持ちになるね」敬子は、興奮して早口に言った。
ここでは車両も、駅舎も、古いものを大切に守り続けた誰かの愛情で輝いていた。外川駅の木造の駅舎が『関東の名駅百選』に選ばれているのも当然だと思った。
「智子さん、ありがとう。一緒に来てくれて本当にうれしい。ありがとうね!」
「はいはい。ようやく来れてよかったね」
そう言ってくれる智子は、本当に気のいい友人だと思った。海風が誘ってくる坂の下の外川漁港に向かって、二人は歩き出した。
(あれからもう十年経ったんだなあ)
名相棒だった智子は予測通り三年後に夫の転勤があり、息子たちが高校を卒業するのと同時に静岡にUターンしていった。もちろん今でも親友で、連絡も取り合っている。
そして敬子は今「鉄さんぽアーティスト」を名乗っている。あの日乗りに行って心から感動した銚子電鉄が、実は経営難で存続の危機に立たされていると聞いた敬子は、これからも乗り続けたいという一心で、すぐに銚子電鉄のファンブログを立ち上げた。そして、乗り鉄の感動や楽しさを伝え始めた。この活動は細く長く十年続き、今では鉄道関係全般のファン活動として発信している。あの時夫が見せてくれた乗り鉄の番組と、手渡してくれた一冊の鉄さんぽの本。そして彗星のように現れて、多くの鉄さんぽを共に楽しんでくれた心の友の存在。さらに嬉しいことに、今では敬子の鉄さんぽの仲間は、コロナ禍でののオンラインの普及もあって、北海道から大阪まで何人もの友が加わってくれている。
敬子は、今でも毎週のように、駅街を散策する鉄さんぽを続けている。
「あっ、香苗さん、もうすぐ養老渓谷駅だよ!お弁当食べちゃおう!」
「本当だ!景色を見るのが忙しくて食べるの忘れてた!」
今この時、トロッコ列車に同乗の宮田香奈枝も、やはり彗星のように現れた大切な鉄さんぽ仲間の一人だった。鉄道は、縁も運も運んでくれる魔法の開運の乗り物だと、敬子は実感するようになった。そして大好きな友逹と感動を伝え合いながらの道中が一番楽しい。
【歩いて、乗って、感じて、シェアして】の活動を、敬子はこれからもずっと続けたいと思っている。
鉄道は、人と心と土地と、そして大切な想いを繋げてくれる素晴らしい乗り物だ。今の瞬間も、沢山の鉄道関係者の方々が、鉄道の安全で快適な運行のために尽力してくれている。それを思うだけで敬子の心は尊敬と感謝の気持ちでいっぱいになる。たとえ誰も乗っていない日でも、その土地の血脈として粛々と走り続けてくれている。そんなけなげな車両達にもっと会いに行きたい。乗りに行きたい。直接感謝の思いを伝えたい。持続可能な循環型社会に向けても、今こそ鉄道の力が見直される時代だと、敬子は強く思う。
「今日も楽しく電車に乗っていまーす」
こんな投稿をSNSで発信するたびに、十年前に夫とテレビの前で大笑いした時のように、変なおばちゃんだと誰かが自分を指をさして笑うかもしれない、と敬子は思う。でもその後にちょっとだけ、鉄道を楽しんで乗ることや、駅から歩いて街を散策して味わう「鉄さんぽ」に興味を持ってくれれば、それだけで十分に嬉しいと、敬子は思っている。
生きがいって、ある日突然降ってくることがある。忘れていた子どもの頃好きだった気持ちを、突然何かのきっかけで思い出すこともある。
今日がつまらなくても、人間関係で悩んでいても、どこかの駅で、電車で、ばったり気の合う誰かに出会えるかもしれない。
人生のダイヤグラムは誰にもわからない。全ては「この一歩から」始まるのだから。
さあ今日も鉄道のすべてを五感でたっぷり味わおう!
敬子はまた車窓に目をやり、風を思いきり吸い込んだ。
完
あらすじ
東京で家事に育児に奮闘していた40代の引きこもり主婦、高橋敬子は、夫とのふとしたきっかけで、ローカル鉄道に乗りに行く、ということに興味を持つ。そして銚子電鉄に強く惹かれる。だが、元々がかなり怖がりな引きこもり主婦の敬子は、一人ではとても銚子まで行けそうにない。そこで、意を決して、それまではうわべだけの付き合いしかしてこなかったママ友に、ある相談を持ち掛ける……。
ここから始まる友情と、家族愛。そして一歩一歩と広がっていく敬子の「鉄子さんぽ」への道。
主人公の敬子が、過去と現在にわたる鉄道体験を通じて、子どもの頃に忘れてきた大切な記憶を思い出し、主婦として妻としてのコンプレックスを克服し、勇気を出してママ友や外の世界に繋がろうとして成長して行く過程を、描いた作品。
「鉄道は、運を運び、縁を繋ぐ乗り物」「車窓は心のタイムマシン」という筆者の鉄道への熱い想いが、随所にちりばめられている。 高橋惠子シリーズのエピソード0になる作品です。
2022.07.31
コノハナ きょうこ
あとがき
この作品は、「てつぶん」という鉄道小説コンクールの応募作品として、初めて小説にチャレンジした作品です。
入線には至りませんでしたが、思いを形にする作業は、とても楽しかったです。
入選作以外は皆様に読んでもらえないので、せっかくなので、ノートに掲載してみました。
楽しかった気持ちを一緒に味わっていただ^_^けたら、幸いです。
2022/11/21 コノハナきょうこ