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愛するということ

今日のnoteはアドベントカレンダー夏_2023の企画に寄せて書いています
テーマは「星座」

そこで、空にいる人に想いを馳せる日にすることにしました


ずっと、後悔していることがある。
それは、中一の時に亡くなった母方の祖父に、癌が進行して入院してからはほぼ顔を合わせにいかなかった、行ってもそんなに話さなかったこと。
大好きなじいちゃんからたくさんいろんなものをもらったのに、私はじいちゃんが段々小さくなっていくのを見るのが怖くて、中々会いに行けなくて、もらったものを返せなかったと後悔している。


私がこれまでの人生で一番愛されていると感じたのはじいちゃんからだ。

今でもずっと忘れられないのは、弟が生まれるため母が病院に入院する2週間、じいちゃんの家に預けられていた期間のことだ。確かまだ4歳とかそこらだったはず。でも私にとっては色褪せない大切な思い出。

朝起きたらじいちゃんがトースターで食パンを焼いてくれる。焼けたトーストにマーガリンを塗りながらちょっとマーガリンも食べたり(なんとも言えない味で好きだった)オレンジジュースにトーストをつけてみたり。家だったら怒られそうなことをじいちゃんは見逃してくれた。

朝食を食べた後、いつもじいちゃんは散歩に出かけた。その散歩に行く前には私の身だしなみも整えてくれて、慣れてないはずなのにいつも髪の毛を結ってくれた。お母さんの方が慣れてるから綺麗に整えてくれるけど、じいちゃんが慣れてないのに可愛く結ってくれようとするのがむず痒くてなんだか嬉しかった。
散歩に行くと近所の人にいつも挨拶をして立ち話が始まる。立ち話してる間は暇なんだけど、近所の人と和やかに話してるじいちゃんを見てるのが好きだった。
散歩は大体3ルート。公園に行くとブランコを押してもらった。
午後は将棋やオセロをして遊ぶ。ボードゲームを私に教えてくれたのはじいちゃんだった。

じいちゃんとの日々を思い出すと、もらったものが本当にたくさん出てきた。

中学受験本番の年の、多分お正月だったと思うんだけど、じいちゃんから2冊のメモ帳をもらった。中には、新聞で連載されているポケモンことわざ大辞典の切り抜きが一日一ページずつ貼ってあった。毎日貼ってるからメモ帳もだいぶ厚くなっている。おそらく100日分くらいはあったんじゃないだろうか。
正直、ことわざはもう覚えているものばかりだった。だけど、祖父がわたしが受験生だから、あったら役に立つかもしれない、と思って毎日新聞を読みながら切り抜いてメモ帳に貼るという行為を何ヶ月も毎日続けてくれていた。その時間、その行為、その気持ちが私はとても嬉しかったのだ。


最近まで「愛する」ということがわからなかった。辞書的な意味合いはもちろん知ってる。だけど、自分の体感としてわからなかった。
だけど、最近やっとすとんとわかった気がしていて、私にとって愛するとは「相手の幸せを願うこと」だ。

それに気づいた時、最初に思い浮かんだのは祖父だった。

私はずっと祖父にこれまでもらってきたものを最期に返せなかったことをずっと悔やんできていた。
けれど、もしかしたら祖父は渡してきたものを返してほしいとは思っていなかったのかもしれない。純粋に慈しんでくれていた、愛してくれていた。

そしたら、私にできるのは、祖父からもらった愛情を次の人に渡すことだ。


星座は点と点を繋いでできている。点のままだとただの星だが、繋ぐことで星座が生まれ物語が生まれ、その物語が次の人たちに語り継がれてきたことで今まで星座は繋がってきている。
私はどんな物語を次の人に渡すことができるだろうか。



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