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後ろ向きなまま前を向く

いま、この瞬間の自分自身に、ぐったり疲れてしまうことがある。

何の実績もない、他人に誇れる何かも持たない、ウェルビーイングはしんどくて、腹の中を渦巻くモヤモヤをポジティブになど到底変換できずに。

自己啓発や自己研鑽は、やっぱり明るい気持ちで元気のある時じゃないとできない。

現状の不甲斐なさや情けなさに疲れ切った心では、素直に「頑張ろう!」と自分を鼓舞することなどできない。

わたしは、いま、この時のわたしのまま、癒されたい。

大丈夫だと言ってほしい。

わたしに足りないものを見せつけてくるような、攻撃的なポジティブシンキングは辛いのだ。

わたしの中にあるもの。
わたしが、いま持っているもので、ほっとしたい。
新たに勉強して取り入れる元気はない。
頑張らずとも前を向けないものだろうか。

「さあ、こうしよう!」
「新しいものを取り入れよう!」
そんな押しつけがましい励ましは欲しくない。

もっとちゃんと、わたしの過去を愛でたいのだ。

過去にあった楽しかったこと、嬉しかったこと。
それを手放して成長せよ、とばかり指揮を取られては、自分を否定ばかりしなければならない。

いいじゃないか、過去を褒めたって。過去を楽しんだって。
大事な思い出なのだから。
わたしが一番大切にしてあげられるのだから。

過去を振り返って、希望を思い出すことだってあるのではないか。
もう持っているものを一つ一つ確かめてみて、そこからもう一度立ち上がれるような気がしてくることだってあるのではないか。

思い出が元気をくれることだってある。
未来だけが光に満ちているわけではない。

後ろ向きなままでも、前を向けるはずなのだ。

わたしがわたしのまま、新しいわたしになどならなくても、
今までのわたしで十分に「良い」のだ。


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