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ブレーキを外したり、きれいな五角形にならなかったり、普通に生きられなかったり

ビジョンボードにて

友達と去年から始めた、新月と満月のビジョンボード。
スマホのアプリで憧れるイメージの写真をコラージュして作っています。その画像をLINEで送り、感想を言い合います。そして自分で作った画像を自分のスマホのロック画面にして、次のサイクルまでの間、意識付けることにしています。

一人では続かないからと友達の提案で始めたのですが、6月で一年になります。願い事も、簡単に叶うものもあれば、やっぱり違うかもと修正しながら変えていったりと、月のリズムに合わせて進めており、結構順調です(^^)

そして前回の友達のテーマは「すべてのブレーキを外す」。生まれ変わりや潜在意識が刺激される蠍座の満月のテーマに合っていて、「気分良く過ごす」という先に送った私のゆるっとしたボードとは大違いでした(笑)

カフェにて

話は変わって、別の友達と久しぶりにカフェで話をしました。
その中で、私は会社員時代に「わりと平均的に何でもそつなくこなしていた。パフォーマンスを五角形とかで表記すると(小さいながらもそれなりに)きれいな五角形になっていて、それが自分でつまらないと思うんだ」ということを話しました。

すると友達は、「平均的になるように抑えたなんじゃない?その方が会社員としては楽だから」と。

スッと腹落ちしました。組織で生きるということは、そう言うことなんだよなぁと。だから楽(ラク)だけど楽しくなかったんだなぁと。

「大豆田とわ子と三人の元夫」にて

ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」でとわ子の親友のかごめが「普通のことができない」と生きにくさを吐露するシーンがありました。仕事も恋愛も。だから普通のことができる人たちは山に見えて、山に囲まれていると感じていると。
と言っているかごめが、実は一番魅力的に思えるんですよね。そんな風にしか生きられない不器用さが、共感もするし、羨ましくも感じます。

風の時代にて

土の時代を生きてきた私(たち?)は、小学校…いや、保育園のころから「普通であること」が家でも学校でも社会でも当然とされていました。

やっと多様性とかジェンダーレスとか個の時代とか言われ始めた風の時代、ブレーキを外したり、いびつな五角形だったり、普通のことができないことが普通になって行くのなら、私にとってワクワクしかないです。

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