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キャベツ畑と龍の雲(6/16~6/25)

 
 二〇一〇年の初夏から秋にかけて、私はある場所へ住み込みのアルバイトに出かけた。仕事内容はキャベツ作りである。
 別段田舎生活に憧れてというわけではなかった。農業に興味があるというわけでもなかった。あまりに生活がせっぱ詰まってしまった為に即決,住み込み,食事付きのバイトでも見つけない事には飢えかねない事態に陥ってしまったのである。アルバイトを申し込むに当たってちょっとウソをついた。電話の向こうでは雇用主が、
「体力無いとやってけないよ」
 なんて言っている。私はそれに対して,
「一応木工職人ですから普通の人よりはいくらか…」
 と曖昧に答えて見せたがじつは二、三年前,過労とストレスで体をおかしくしてからはまともな体調に戻ったことはなかった。

 軽トラでたどり着いた高原はちょっとしたワンダーランドだった。そこは日本とは思えぬ壮大な景色の世界であり、見たこともない巨大なトラクターの群生する世界であり、奴隷制度はびこるプランテーションの世界であった。大量の中国人と少しのインドネシア人、そして日本人。そこで私は虚弱体質の体を駆って畑作りに奔走したがそれは数多あるバイト経験の中でも類を見ない苛酷で容赦のない、そして興味深い日々だったと思う。

 差し当たっての仕事は畑を作る事だった。学校のグラウンドみたいな土地を相手にむやみやたらと草を刈り,果てしなく苗を植え、ひたすら除草剤を撒いて回る。私は精神安定剤と胃腸薬をガバガバ飲みながら「エラいところに来ちまったもんだなあ」と嘆息していたがこれはほんの序章であった。

 やがて収穫が始まってみると基本的に休日は無くなる事が判明した。朝三時半から夕方まで,すぐに沸騰する雇用主の怒号を聞きながらキャベツを収穫してまわる。とりわけ七月から八月にかけてのコアシーズンには畑作りと収穫が平行して行われる為,労働時間と疲労は天井知らずだ。
「台風でも来ない限りは収穫を続ける」
 悲壮なオキテに追い立てられるバイト達。

 この日記は本来慰みのつもりで付けられ始めた。ところがこれはやがて私自身の精神安定に役立つばかりでなく危うく自我が沈没していきそうな日々の中にあって私に観察者としての視点を与えてくれることが分かった。見えてきたのは様々な問題や可能性だ。それは例えば中国人研修生の事であったり、農業を工業的に行おうとすることの難しさであったり農薬やクレームの問題、さらにある種のダメ人間に対する治療効果の可能性、等々であった。

 最後に,この日記には雇用主への不平不満がそこかしこに書かれているかもしれないが毎年この地に働きに来るという猛者も少なからずいる事を忘れてはいけない。単なる3kなだけの仕事ではないのだ。私自身日記を振り返ってみても始めは体の不調,次に仕事や雇用主に対する愚痴だったものがいつしかまわりの自然の観察へと移ってきている。
 これはある意味、土を相手にする仕事のもつ力といえるのかも知れない。

※人物について、何がしかの迷惑が誰かに及ぶ事を考慮して名前は全てアルファベットで記した。一応理解の助けとなるよう人物説明をここに表しておく。
 
社長   農場主。定年付近の年齢。日本人。
オクサン 農場主の奥さん。日本人。
Kさん  農場主の息子。公的仕事についている。繁忙期には畑を手伝う。三十代。日本人。
Tbさん 当農場六年目のベテラン。今年は途中で帰ってしまった。三十代後半。日本人。
Tkさん 鉄工所の住み込み寮から来た体の大きな男。Tbさんの代わりに来た。三十代前半。日本人。
Gさん  ゴウさん。小柄で頭頂部が禿げはじめている。三十代前半。中国人。当然だが名前の漢字の読みは本国ではまるで違う。
Shさん シュウさん。中肉中背。額が禿げはじめている。二十代後半。中国人。


キャベツ畑と龍の雲

6月16日(水)

 埼玉を出てから六時間以上軽トラックを走らせて,群馬と長野の境目みたいなところに来た。夕方,幹線道路沿いのコンビニで世話になる農家の奥さんと合流した。想像していたよりも年取っていて,二言三言話してみただけでも狷介な感じがする。

 早速社長宅に案内されて,庭先に建ててある離れの部屋をあてがわれた。まあ窓の付いた物置といって差し支えない。床が南に向かって微妙に傾いていて変な臭いがしている。しばらく掃除なんかをして過ごした。日が落ちてやる事がなくなってみると薄暗闇と静けさの圧迫感が生々しい。思ったより情けない気分になってる。打たれ弱いな。こんなにお坊っちゃんだったか。

 夕飯は社長宅で全員で取る。そこで中国人のShさん,Gさんを紹介された。言葉はほぼ通じない。日本人がもう一人いるらしいが今はどこかに行ってしまっているそうでよく分からない。社長に聞いてもなんだかよく分からない。

 夜,電灯の下で自分の頭に状況を受け入れさせるための言い訳を考えた。ちょっと無理をしないとたまった支払いが片付かないとか社会不適合者が真人間になる契機になるかも知れないとかいろいろ。
 明かりに戯れる羽虫を眺めながら考えた。

 

6月17日(木)

 それにしても四ヶ月というのは長い。頭の中でどんなにカレンダーをひっくり返してみてもこの契約期間が縮む事は無さそうで、できれば妙なアルバイトはこれを人生最後にしたいと思う。

 はじめて畑に入った。ちょっとした丘の斜面にあり途方もなく広い。午前中はどうにも力が入らなかった。休憩中に与えられた菓子パンすら吐き気で食えず困惑してしまった。こんなんで最後までもつのか?ギブアップしたところで金がないぞ。家賃も払えないぞ。なんとしてもしばらく持ちこたえなければと本気で思った。

 午後いっぱい広い畑の縁を鍬で整えたが、鍬というのは日頃使い慣れていないせいかホトホトくたびれる。炎天下と言っていい日よりだった。初日ということで遠慮して水が飲みたいとは言い出せず本気でフラフラになった。

 ところがもう駄目だと思った所からなおしばらく我慢したところ,何故だか急に腕に力が戻った気がした。心身を壊してこの方、力がきちんと入る感覚は久しぶりだ。度が過ぎた疲労が自律神経にかかわる不調(*)を圧倒したと言う事だろうか。
 標高が高いと紫外線が強いようでいきなり耳が爛れた。

(*)数年前から過労とストレスが原因であると診断されている。こまごま体がおかしくなる不思議な病気。私の場合倦怠感,疲労感,胃腸不全が基本でこれに様々なオプションが付く感じ。

 

6月18日(金)

 記述なし。

 

6月19日(土)

 雨。仕事休み。

 

6月20日(日)

 記述なし。

 

6月21日(月)

 一日中“なえま”取り。キャベツの苗の事を“なえま”と言っている。“なえ”は分かるが“ま”が分からない。方言なのか、何か意味があるのか、漢字でどうにか書けるのか。オクサンあたりに聞いてもよく分からない。社長あたりはさらに短く“ねま”とか言っている。とにかく,
「ねま取り行くだ」
 と言われたら苗を掻き集めに行くという事なのだ。

 キャベツの種は直接畑には蒔かない。一度専用の小さな畑で小さな苗になるまで育てて,その中から強い苗だけを選び出してケースに入れる。かなり無造作に引っこ抜いて,プラスチックのコンテナに押し込むので心配したが,キャベツは強いので大丈夫なのだそうだ。
 苗を引っこ抜きながら優生思想について考えた。そのうちなにか目の覚めるような知見を得たように思えたが、帰る頃にはすっきり忘れてしまった。

 八月に自分の軽トラックの車検があるので,一日か二日休めるかと訊いたところ、
「繁忙期に休みはやれぬ,それならすぐに違うバイトを雇う」
 などオクサンに言われた。これがまたまくし立てるような言い方でいちいち癇に障るのだ。
「(アルバイトの申し込みの)電話は他にもたくさん来てるから。他にも代わりはいるから」(*)
 これは使い捨ての農奴と変わらんな。そう納得する。

 

(*)このアルバイト自体はネットのバイト情報サイトに載っていた。自分が来た後もしばらく載っていたようで、問い合わせの電話が来ていた。

 

6月22日(火)

 どうやら一日の最後に日記を書く事が,精神安定の役に立っているらしい事を自覚する。

 皆と一緒に朝飯をとるのが辛い。少食な上にひときわ食うのが遅いからだ。逆を言えば他の連中の食う速さが尋常でなくて、特に社長あたりはドンブリ飯に漬け物みたいなもんだけでサッサカサッサカ食う。特殊な見せ物でも見ているようだ。

 一日中苗取り。午後はかなりの時間、苗畑の草取り。ひどい炎天下で力が入らなかった。するとあっという間に胃が荒れてくる。結局、一度自律神経が狂って内臓不全になったりするともう一生治ることはないんじゃないかと思えてくる。で,こういったことを考えていると神経が参ってまた胃が荒れる。こんな体調でこの先の労働に耐えられるのだろうか。しばらく気に病んだ挙句に「まあ出来るところまでいこう」となった。動けなくなったらそれまでだろう。そしたら帰ろう。

 朝っぱら薬(*)の世話になった所為だろうか,一日やたらと眠かった。

(*)自律神経の薬。やはり少し眠くなる。

 

6月23日(水)

 雨。仕事休み。

 

6月24日(木)

 一日晴れ。除草剤撒き。さらに草刈り。午後少し吐き気がする。が、それほどひどくはない。

 除草剤撒きは三人一組で行われる。一人が特殊な薬剤散布用の乳母車を押して一人が畑の真ん中でチューブを持って乳母車と併走して、もう一人がやはりチューブもって反対の縁を上下する。チューブは薬剤タンクにつながっている。乳母車を押すのはいつの間にか復帰していたもう一人の日本人のTbさん。自分は真ん中。縁をGさん。Tbさんはもう六年この農場で働いているベテランなのだそうだ。社長がいなくても仕事の段取りはよく分かっている。ただ社長が苦々しい顔をして言うには,彼はある時期になると十日ばかりふらっと居なくなってしまうらしく、自分が来たときに居なかったのはそういう理由。

 Tbさんは東北の出で無口な印象だが,実は私よりも話好きで話し始めるとポツポツ止まらない。春秋はここでキャベツをやり,冬は鉄道敷設かなんかの仕事をしているとの事。いずれ稲作の方をやりたい。それを東南アジアあたりでやりたいなど話してくれた。イボ痔が悪いとも言っていた。

 

6月25日(金) 

 朝飯をいっせいに食うのが辛い。食うのがやたらと遅い上に少食なので、どうにも浮いた感じになってしまう。人並みに体力はあると偽ってここに来ているのでこれはマズいなと思う。おそらく雇う側も本当にこいつは働けるのだろうか?とうすうす疑問を感じているだろう。

 今日は肥料を四種類ほどかき混ぜて袋に詰めた。これは耕運機の後ろのローターにぶち込んで畑に混ぜ込む為の物。シートを広げて10kg入りのナントカ土やら栄養やらを二十袋ほどもかき混ぜる。どえらい量でとにかく疲れる。肥料の内のどいつが悪さをしているのかは知らないが手がちくちくする。粉塵が撒き上がって肺に入るような感じで不安を感じる。これは本来防護装備が必要なのではないか?

 その後は畑の縁の草刈り。除草剤撒き。鍬で畝を整えて苗を植える。あるいは育ちの悪い苗を引っこ抜いて代わりを植える。これをホショクと言っている(おそらく補植か)。

 郵便物の転送届けを出していたのでとある地方自治体の文学賞の案内がこちらに来ていた。ところがこれをみたオクサンは私がなんぞ就職活動をしてると思ったようだ。
「ホントに十月までいられんの?代わりはいるから。電話で問い合わせきてるから」
 どうにもたびたび言われるもので、ホントに帰ったろうかという気になってくる。金銭的にもはや次のバイトを探す余裕すらないということで踏みとどまっている。

 
 
 

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およそ4か月間、キャベツを作る住み込みのアルバイトに赴いた時の記録です。 そのような仕事に興味がある人のために、あるいは蟹工船じみたプロレ…

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