鎌倉彫の鏡台
こどもの頃、家に鏡台があった。縦長の三面鏡で、小柄な女性なら立ち姿も映せる大きさだった。鏡の下は低い台になっていて、手前に四角い箱型の椅子を置いて座って使う。向かって左側に抽斗が二段、右側に開き戸のついた物入れがあった。物入れの方にはヘアスプレーの缶が入っていて、開けるとスプレーと母の髪の匂いが混ざってぷんと匂った。
三面鏡の扉や台の天板は灰色がかった木目のメラミン化粧板だったのに、抽斗と物入れの扉は色も手触りも違った。赤みの強い暗い色で、木の地に浅彫りの彫刻が施されていた。小さかったわたしはそれが鎌倉彫だということを知る筈もなく、これは何の模様なんだろうと彫刻の凹凸をよく指でなぞった。開き戸を飾る大きな模様は、どうも花らしいのだが、こんな変な花があるかなあと思っていた。それが牡丹の柄だと教えてくれる人もいなかったし、牡丹の花が咲いているのを見たこともなかった。
その鏡台は母が結婚する折、母の父が持たせたものだった。化粧板と鎌倉彫の奇妙な組み合わせから推察するに、とびぬけて上等な家具ではなかっただろうが、そんな鏡台ひとつでも母と母の妹たちの間にひと悶着を引き起こしたという。結婚祝いに鏡台を買ってもらえたのは母だけだったからだ。
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