茶摘みの歌

母が退院する日、夫の運転する車で母を迎えに行った。退院したその足で隣市の特別養護老人ホームに向かう。二〇一二年。十二年半の入院生活だった。
退院したのは病気が寛解したからではない。症状が段々曖昧になるのと入れ替わりに認知症が進み、入院治療より介護が必要だと主治医に判断されたからだ。退院後の母の居場所をどうするかが最大の難問だったが、考えられる中でもっともよい施設で受け入れてもらえることになった。退院の方針が出てから、さまざまな準備や手続きを経て受け入れ先が決まるまで、頭の毛穴から血が噴き出すかと思うくらい不安な日々だった。その間、夫や周囲の方々がわたしを支えてくれた。あの時期、助けの手を差し伸べてくれた人たちのことは一生忘れない。

季節は秋の彼岸頃だった。よい天気で日が当たると暑いくらいだった。窓の外には葛城金剛の山並みがいっぱいに広がっていた。
助手席に座って上機嫌だった母が、突然歌を歌い出した。
あーれーにー見えるはー 茶摘みーじゃないかー
母は歌うことが好きだった。こどもの頃の夢は歌手になることだった。中学三年の時、歌手になろうと家出して東京駅まで行き、八重洲口の改札を出ようとしたところで警官に保護されたという。病院にいる間、レクリエーションでもそうでない時でもよく歌っていた。久し振りに車に乗って、窓の外を流れる緑を見ているうちに、この景色にふさわしい歌が彼女の身の内から湧き上がってきたのだ。季違いなんてこの際どうでもよろしい。
三十分ほどの移動の間、母は大きな声で茶摘みの歌を歌い続けた。歌詞をよく覚えていることに感心しながら、わたしもわかるところだけ唱和した。後部座席からで、表情はよく見えなかったけれど、母は大真面目な顔をしていただろうと思う。


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