憧れ

自分が男だったかのか女だったのか、それも思い出せないくらい昔の話。わたしは働いていた。何かを運んでいたのか、売り歩いていたのか、裸足で地面を踏んで歩いていた。粗末な衣を着て手足をむきだしにしていた。丈夫な身体でわたしは力強かった。ある屋敷の前に来た。偶然、大きな門が開いていた。わたしは普段覗きみることの叶わない中の様子を見た。屋敷の、高い板敷きの室内は簾や布で半ば隠されていた。その隙間から室内にいる人たちが見えた。色とりどりの美しい衣を着た人たちだった。衣の長い裾を曳いて何かを語らいながらゆったりと動き回っている様子だった。わたしはなぜか、あの人たちが文を読んだり書いたりしていることを知っていた。文の中に見たこともない世界が広がっていることも。そして心の底から、強烈な憧れが突き上げてくるのを感じた。ああ、いいなあ!気持ちが膨れ上がって、身体が内から破裂してしまいそうだった。わたしもあんな風に、うたを詠んだり、文を書いてみたい!
これはある日、わたしがわたしの中に見た幻影である。短歌を書いてみたいと思い立ち短歌結社に入って学び始めてからも、どうして自分が選んだ表現が短歌だったのか、いまひとつ腑に落ちないままでいたが、このヴィジョンを見た時、そうかそうだったのかと理屈も根拠もなく納得したのだった。何度生まれ変わっても消すことのできない、やむにやまれぬ憧れがあったのだとすれば、才がなかろうが身体が痛かろうが、書くしかないではないかと。

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