泣いているこどもがいる

鳩尾のあたりに小さいこどもがいる。その子はひとりで薄暗い隅っこに立っている。肩に力が入って、拳を握りしめている。髪の毛はくしゃくしゃだ。(わたしと同じだ、わたしも癖っ毛だから。)顔を伏せているので、近づかないと表情がわからない。そばに行くと、顔を見られたくない感じが伝わってくる。彼女は(女の子だ)ものすごく怒っている。怒りで泣いている。唇をへの字に曲げて、顔は涙と鼻水でぐじゃぐじゃに汚れている。だから顔を見られたくなかったのだ。もし顔を拭いてやろうとしても、差し伸べた手を振り払ってしまうだろう。顔を邪険に拭かれながら、彼女はいつも言われていたのだ。「汚い顔して!めそめそ泣きなさんな!」
薄々その存在に気付いていながら、あまりその子を意識したくなかった。幼かった頃の自分の姿なのだろうと見当はついていたが、彼女の怒りがあまりに激しすぎて手をつけられなかった。下手に触れるとわたし全体が崩壊するのではないかと怖ろしく思えるほどだった。
成長する過程のどこかで、必要に迫られて、わたしはこの子を自分の隅っこに押し込めて「いないこと」にしてしまったのだと思う。わたしが現実の世界で、乳幼児の泣き声や駄々をこねる声に苦痛を感じたり、表現の場で「幼さ」を嫌悪したりする原因もここにあるのかもしれない。ヨガをしても太極拳をしてもなかなかほぐれてこない肩のこわばり、首から鎖骨、胸元までの痛みのもとが、彼女のいからせた肩や固くにぎりしめた拳にあるのかもしれないとも思う。

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