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ある庭師の想い出

 冷たい風が頬をかすめ、乾いた葉が舞う季節になると、私はある一人の老人を想い出す。
名前も知らず、姿さえぼんやりと霞んでいる。覚えているのは、藍の法被のしゃんとした背中と、煙管を持った皺だらけの手だ。
 老人は、庭師だった。
 幼い頃私は、大正時代末期に建てられた和洋折衷の古ぼったい家に暮らしていた。父と母と祖母、それに年の離れた兄。それだけの家族が暮らすには、広すぎるような家だった。 その家を、鬱蒼とした木々を生やした庭が取り囲んでいた。
 祖母は庭仕事はおろか、家事すらしない人だった。家の仕事は、母と午前中やってくるお手伝いさんに任されていた。祖母は家の中心に当たる大きな和室にいて、あれこれを指示するだけだった。
 お手伝いさんが来ていたとはいえ、庭の手入れまでは家の者の手が回らず、時折庭師を頼んでいたのだ。私は庭師の老人を、「おじいちゃん」と呼んだ。生まれる以前に祖父が亡くなっていた私には、彼が「おじいちゃん」のような気がしていたのだ。
 幼い頃私は病弱で、滅多に外へ出ることが出来なかった。家の中でままごとやお絵かきをして、それに飽きると本を読んだ。本は私を未知の世界へと連れだしてくれた。私は頁を繰りながら、草原を跳ね、魚のように泳ぎ、森を冒険した。
 元気なときでも、家の門から出してもらえることは少なく、たいていはひとり庭で遊んでいた。そんなとき、庭師の老人が来ていると、私は嬉しくて、彼の後をついて回った。
 
 一年のうち、彼がどれくらい家にやってきたのかはわからない。彼を想い出すのがいつも晩秋なのは、その時期に頻繁にやってきたためだと思われる。
 木枯らしが吹き始めると、木々も冬支度をさせてやらなければならない。無事冬を越せるよう、枝を短く伐採してやるのだ。種類によっては、わらを着せてやらなければならないものもある。庭師にとって、恐らく一年中で最も忙しい時期だったに違いない。
 彼はたった一人で、数十本はある大木の枝を切り落としていった。切った枝は、俵のようにひとまとめにしてくくった。私はその作業を、飽きることなく眺めた。切り落とされた枝で遊んだり、熊手で落ち葉を掃き集めたりした。
 私たちは、ほとんどしゃべらなかった。一体口をきくことがあるのだろうかと思うほど、老人は寡黙だった。午前十時と午後三時に縁側でお茶とお菓子で一息つくときも、彼は全くしゃべらなかった。枯れ木のような手で湯飲み茶碗のお茶を啜り、煙管をふかしていた。 私は彼の横に座り、一緒にお菓子を食べた。
 時折そっと老人の表情を伺った。すると、彼はいつでもどこか遠くを眺めるような顔つきをしていた。
 
 仕事が一段落すると、老人は私にちょっとした玩具を作ってくれた。それは、切り落とした枝で作った素朴な積み木だった。もしかすると、単なる木ぎれだったのかもしれない。
 老人はただ、無言でそれを私に手渡したのだ。
 幼い私が、それを勝手に「積み木」と思いこんだのだ。老人が緩慢な仕草で後始末をしている間、私はその玩具で遊んだ。



 
 老人が作ってくれたものは、それだけでは無かった。今でもはっきりと想い出すことが出来る。玄関前の一番大きな木に、彼はブランコを作ってくれたのだ。
 しっかりとした木ぎれを選び、丈夫なロープをくくりつけ、それを太くて頑丈そうな枝にぶら下げてくれた。私は歓声をあげて、ブランコに腰掛けた。ごつごつとした木肌が腿に当たると、胸が躍った。
 だが、私はブランコの漕ぎかたを知らなかった。同じくらいの年頃の子供が当たり前に出来ることを、私は出来なかったのだ。
 あの時老人は、そんな私を哀れに思ったのだろうか。私がどうしていいかわからずに、ただぶらさがっていると、彼は私の背後にやってきて、ゆっくりとブランコを押してくれた。
 冷たい風が私の頬をなで、梢の向こうの青空が揺れた。私はそのまま空を羽ばたいてゆけそうに思った。しかし、老人が手を止めてしばらくすると、ブランコは止まってしまい、 私は相変わらず不自由に体を揺らせながら座っていることしかできなかった。
「おじいちゃん、もっと漕いで」
 私は彼に何かを要求したことが無かった。それは最初で最後の彼に対する私の甘えだった。
 しかし、彼は少し笑うだけで、もう二度とブランコを押してはくれなかった。私はもう一度、空に飛んでゆけそうな感覚を覚えたくて、やみくもにブランコを動かそうとした。
 どれほどそうしていたのか、突然私は黒々とした土の上に体を投げ出された。落ちたところにちょうど庭の飛び石があった。私はそれで嫌と言うほどおでこを打った。
 激しい痛みが走り、私は両手でおでこを覆いながら泣き叫んだ。
 老人が駆け寄ったのと、私の声を聞きつけて家の中から母が出てきたのと、ほとんど同時のように思われた。母は私を抱き上げると、ほとばしる血潮に仰天して、そのまま私を抱きかかえて家へと運んだ。
 
 母の手当を受けながらしゃくり上げる私の耳に、祖母の声が聞こえた。
「なんてことをしてくれたんです・・・」
 その声は庭から聞こえてきた。滅多に声を荒げたことのない祖母が、震えるように声高になっていた。
 額をじんじん痛ませながら、私はそのことをとても驚いた。祖母は、悪い人ではなかった。私は祖母を嫌いだと思ったことなど無い。祖母は、いわばこの家の、いや、一族の象徴のような人で、好きだとか嫌いだとかいう感情を持つような対象ではなかったのだ。
 だが、このときばかりは私は祖母のことを恨んだ。私の「おじいちゃん」を頭ごなしに責め立てていたからだ。
 
 そんなことがあってから、老人は私が近寄っていくと、「行きなさい」というような手振りで私を追い払うようになった。私は見捨てられたような気持ちになり、しかし、子供ながらに老人がまた祖母にしかられるようなことがあったらいけないと思い、もう後をついて歩くようなことはしなくなった。
 彼はもう私に木の玩具を作ってはくれなかったし、老人が来たのがわかっても、私は家で一人遊びをしていた。
 小学校に上がり、しばらくすると、私も少しは丈夫になり、家に閉じこもっていることも無くなっていった。
学校から帰って、門を開けたとき、木を伐採する音が聞こえても、私はそのまま家に入り、約束している友達のところへ遊びに行ったりした。



 
 私が十歳になった秋、祖母は死んだ。
 気丈夫だった祖母は、八十歳の半ば頃から呆けはじめ、母の手を煩わせたあげく老衰したのだった。
 それまで正月にしか顔を出さなかった父の兄弟が、にわかにやってきて、遺産相続のことについてああでもないこうでもないと、話し合っていた。私がそっとふすまを開けてのぞき込むと、母は私を怖い顔で追い払った。
 そうして、その古い家の建つ敷地は、父を含む四人の兄弟の間で分け合うことになったのだった。
 祖母の葬儀は華々しく、祖父の時代からの知人が多く訪れた。しかし、そのなかに庭師の老人の姿はなかった。
 
 それから三ヶ月後、私の生まれた家は解体された。そして、その後には、駐車場と賃貸マンション、二件の住宅が建てられることになった。二件の住宅のうち、一件が私の新しい家だった。いくら広いと言っても、たかが都心近くの住宅街にある土地だ。分割した土地にそれぞれが建物を建てようと思えば、庭などつぶされてしまうのは仕方のないことだった。
 がらがらと激しい音を立てて壊されてゆく家や、容赦なく伐採されてゆく木々を眺めながら、私は老人の作ってくれたブランコのことを思っていた。そのころ私はブランコを漕ぐことくらい容易くできた。あの時、ちゃんとブランコに乗れたなら、あんなことにはならなかっただろうに。私の胸に、苦い思いが満ちていった。
 それでも新しい家での生活が始まると、私はそんなことどもをすっかり忘れることが出来た。洋風のその家を、私はすぐに好きになった。真新しい壁や床は、胸が躍るような新鮮な匂いを発散していた。
 
 庭師の老人が、かつての祖母の恋人だったことを知ったのは、それから随分後になってからのことだった。私は中学生になっていた。
 夜、お風呂に入ろうと階下へ降りていったとき、父と母が話している声が聞こえてきた。
「あの人も、気の毒な人だったねぇ。よく庭の手入れをしてくれたものだった。あのまま一生独身で過ごして、挙げ句の果てに火事で一人焼け死んでしまうなんて・・・」
 私はすぐに誰のことを言っているのか判った。忘れかけていたあの日の出来事が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってきた。
 額の痛み、涙と一緒に流れてくる赤い血、狼狽した顔で駆け寄った「おじいちゃん」、きりきりと震える祖母の声。
 あの時、祖母はどんな気持ちで老人を責め立てたのだろう。老人は一体どんな思いで庭の手入れに通い続けたのだろう。父と母の話では、老人は祖父の古くからの親友で、祖父に何かの借りを返すために家の仕事を引き受け続けたのだという。
 私の知らない遙か昔のことどもを、藍の法被で覆い隠しながら、ひたすら木々の手入れをしていた老人のことを思うと、私の胸は内側から圧迫されたように苦しくなった。
 失われた庭と、古くさくひんやりとした家が、無性に懐かしかった。私はその時、絶えず流れてゆく時の残酷さを目の当たりにしたのだった。
 
 晴れ渡る秋の空に、冷たく乾いた風が吹き渡り、どこからともなく枝を伐採する音が聞こえてくると、私は老人と過ごした幼い日のことを想い出す。
 枯れ木のような手に煙管を持った、藍の法被の後ろ姿。名も知らず、顔も想い出せない。 けれども老人は、私の心の中で今も静かに生き続け、枯れ葉の季節になると、いたずらに法被姿を現すのだった。
 
 ※この作品はフィクションです。(初出 1998年)



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