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衆生本来仏なり=私たちは本来「光」です

白隠禅師の坐禅和讃は
「衆生本来仏なり」という印象的な一節で始まります。
これを今様に表現するなら
「私たちは本来光です」としても良いのでしょう。
幼い頃から積み上げてきた知識や経験は
ある時点で多くの場合、その人の本質を
見えなくしてしまいます。
知識や経験がその人そのものになってしまうのです。
しかしそれはあくまでも後からつけられた衣のようなもの。
その「衣」が通用しなくなったとき
人は足下を失ったかのような自信喪失に陥ることがあります。
だけど、そんな時こそ、本当の学びが始まります。
そのもっと奥深くに、本来の自分があることを見つけるための
「我を去る」という学びです。
自分は本来、光そのものだった。
このことを確かに掴んだとき、私たちの可能性は
大きく飛躍するのです。


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