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作家の肩書きを自分に許可しようかという件

そろそろ作家と名乗ってもいいかな。

ふと、そう思いました。

というのも、昨日、連載原稿を書いていて

「プロだな」と、思えたから。

その原稿とは、北条政子を描いているもの。

写真は連載三回目ですが

もう五回目の分まで書き進めています。

一回の文字数は約800ワード。

それを48回、書いていきます。

(一年間48回の掲載となる)

800ワードというのは、けっこうな少なさで

少ないから、さっさと時間もかからずに

簡単に書き上げられるかと思われそうですが

実際は、まったく逆です。

あたかも箱庭をデザインするがごとく

史実に基づいた正確な情報と

それが示す意味と、

私なりの見解と

物語としてのおもしろさと情景とを

凝縮したエッセンスとして込めていく。

かなりの集中力が必要となり

言葉もそうとう選ぶため、

わずか800文字でも1時間あまりはつかいます。

昨日は、連載中いくつかある山場の

最初のところでした。

政子が、頼朝のもとへ決死の覚悟で向かうという・・・

今月、二回にわたって訪れた韮山。

通算三日間、歩き回って感じた

政子の想いと時政の戸惑いを行間に込め

我ながら、納得できるものとなりました。

その時、もう一人の私が

「プロだね」と言うのを聞いたのです。

それで、作家と名乗ってもいいかな

と思えた、というわけです。

もちろん周囲の方々は

私を作家と認識してくださっています。

それはまた別の話であって

自分が自分をどう認めるか、ということ。

その観点に立つと

私はまだ自分を作家とは認めようと

しなかったわけです。

何も自分を過小評価しているわけでも何でもなく

「作家の何たるか」を理解しているからです。

それは、歴史に名を残す人も含めた

作家と名乗る方々への敬意に他なりません。

今から十年余り前になりますが

外交評論家の加瀬英明先生が

私が差し出した名刺をご覧になり

「作家というのは、家、という言葉がつくからね」

と、仰った。

歴史を学んでいれば(日本を知っていれば)

「家」がつく

ということの意味するところがわかります。

それで私は瞬間、非常に恥じ入ったわけですが

加瀬先生は、そんな私をいたわるように

「僕はね、売文屋って名乗っているんだよ」と

笑って話してくださった。

これが極めて視座の高い人の意識です。

そして私は、高次元に身を置いていたい人間。

人間学にまつわる本を書いていて

作家といえるのだろうかという疑問があったので

この経験は、私の疑問に対する

鮮やかな回答を得るものとなったのです。

こうした、宝のような経験を経て

誰より厳しい「自分」を納得させることができたのは

なんだかとても爽やかな気分。

まだ極寒だけど、

私のまわりに春風が吹いている。

こうして私は、

ひとつひとつ、自分に問いかけながら

あくまでも

納得できるかどうかを基準にして

生きるほかないんだなと、あらためて思う。

武士の娘だったおばあさんの教えは

私の中に楔のように入っていて

私は何度も

「こんな物捨てて軽薄になりたいよう!」と

叫んだりしましたが(笑

でも、そのたびに

「あなたそれで納得できると思って?」

(明治の華族女学校の同級生風言い回し)

と、もう一人の私が冷たい目で見てきた。

その目が、静かに微笑んだ、というわけです。

(蛇足)

まあ、肩書きなんて

三次元でのことだから

つきつめてしまえば

どっちでもいいんだけどね(笑

そして、三次元にいない私は

肩書きのない世界で

すでにもう

伸びやかに存在しているんだ^^


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