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私の人生に大きな影響を与えた人

椎名さんが、お誕生日を迎えた。
ダブルセブン。
77歳だとおっしゃる。
そんなに時間が経っているの?!と
本当にビックリした。

椎名さんと出会った頃
私はまだ40歳にもなっていなかったから。

椎名英三さんは日本を代表する建築家。
そんな大変な方と、ご縁をいただいたのは
実に有り難いことだった。
椎名さんの建築に触れて
私は初めて、建築というものを識った。

いえ、そうではなくて、それは「椎名さんの建築」であり
もっといえば、「椎名さんの世界」であり
実のところ「椎名さんの宇宙」なのである。

「真理子さん、建築はね、空(くう)なんだよ」

「Yes ってさ、日本語にすると何だろうね?」

「宇宙はね Yes なんだよ」

「すべてを越えていこうぜ!」


岡倉天心の『茶の本』や小泉八雲の『日本の面影』のこと。

「こんなに美しい世界があったんだね」と
椎名さんは、こういうことに涙する。

私も涙する。

今年の一月、七草が明けた日に


椎名さんが大きく掲載された建築誌が届いた。

若き日の椎名さんの言葉

「僕は建築に命を懸けているんだ!」

椎名さんは、その頃も、今も、
ずっとずっとそうなんだ。ということを、想像するのは実に容易い。
そうでなかったら、椎名さんじゃない。

私の夢は、椎名さんに終の棲家をつくってもらうこと。
椎名さんの宇宙に抱かれて暮らし
そして、最後の時を迎えたい。

そんなふうに思ってから、
もうこんなに時間が経ってしまったけれど
その時は必ず来ると私はしっている。


お誕生日のメッセージにこんなことを書いた。

椎名さんほど、「青年」という言葉が似合う人はいません。
椎名さんの瞳は、ますます澄みわたって
一瞬の中にある永遠を私たちに見せてくださるのでしょう。

すると椎名さんは、お返事に
椎名さんがつくった一編の詩をくださった。

こんなふうに生きている人に
世の中は、どんなにか世知辛いだろう。
でも、椎名さんは必ず越えていく。
そして、私に教えてくれる。
「すべては越えていけるんだよ」

たくさんの人を相手にできないかもしれないけれど、
僕はやはり、これからも自分ができる範囲で
本物の建築をつくっていきたい。
人がそこに入った時に
「私は今、生きている」と感じ取れるような
生を意識できるような建築です。
生きているといろいろなことがありますが
僕は建築を通して
「YES! 大丈夫!」と言いたいのです。
そんな僕が次代に伝えたいメッセージは、
「すべてを越えて 頑張ろうぜ そして 陽気にゆこうぜ」
これですね。

『アーキテクツマガジン』より

椎名さん、少しでも世界が美しくなるように
私も、すべてを越えていきます。
そして、陽気にゆきますよ。

椎名さんのお手紙。
字までもが、アートです。



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