「手放し」という付加物
「手放し」という言葉が
まことしやかに使われるようになるほど
皮肉なことに
今度は「手放しができた私」というものを
創ろうとしているのかもしれません。
つまり、それもまた付加物というわけです。
自由と独立のなかに生き始めたなら
もはや「手放したかどうか」なども
すっかり忘れ果てて
天衣無縫の心境に至るに違いありません。
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