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想い出の整理をする時がやってきました。 新しい扉がひらく弥生は 卒業の季節でもあります。 …
人目をまったく気にしないのは 傍若無人になってしまうけれど どう見られるかばかりに意識が向…
美しい日本語を使う人でありたい。 たとえば「たそがれ」。 日が落ちた照り返しで陰影が濃くな…
二つの月がまたがる週は 節目を実感しやすいものです。 特に冬の終わりを示す2月と 春の始ま…
よく「ありのままでいい」と言われます。 桜が桜であるように、 薔薇は薔薇であるように あり…
他人に良く思ってもらうために 気を遣い行動しているとしたら 枯渇してストレスを抱えるのは当…
1420年。 これは、「和」を宣言してからの年数です。 こんなにも多くの時がおとずれて いくつもの時代を経ていったけれど 宣言された「和」は いまだ実現できずじまい。 膨大な時であるけれど それは序章だったのかもしれません。 いつの日か本章が始まって そこからは「和」の物語が 紡がれていくのかも知れないけれど 同時に寂しく予感するのは この序章はとこしえになる可能性もあるということ。 それでも私は求めてゆこう。 「和」の願い「輪」の希望 それが永遠なる序章であったとしても 「
坐禅は「つかむ」のではなく 「はなつ」こと。 ある老師の言葉に 何度も気づかされます。 これ…
見えなくても お花を供えたい 食べなくても 美味を供えたい 聞こえなくても 話したい 見え…
相手と意見がすれ違ったとしても ただそのまま そうした現実があると 受け入れるだけです。 ど…
私たちはしばしば 過去世について思いを馳せます。 おぼろげでも記憶がある人と まったくない…
歴史というものをつぶさに観ていくと 時に信じがたいような出来事があります。 しかもそれは …
もっと喜びへの感度を上げていきましょう。 幸福とはささやかな喜びの花束です。 いちりん一輪…
灯がつくことも お水をどんどん使えることも 夜、おふとんで眠れることも 朝、目が覚めることも 気づけば当たり前と感じている そんな自分を見せてくれる。 あたたかい食事をいただけること 手足が動いて活動できること どこへでも移動できること 怒ったり笑ったりできること 頭でわかるのと 身をもって理解することの 何という距離感だろう。 時に、手を差し伸べることさえも うっかり「助けてあげる」などと 思ったりしないだろうか。 人を助けるも自分を助けるも 全く同じなのに。 むしろ人を助