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25-4 梅すだれ 紀国雑賀

 翌朝はげん爺の言った通りに隣の家から粥をもらった。隣りの一家は十五年前に近江から越してきたそうで、外から来たタカベたちに好意的だった。
 朝ご飯を食べ終わるとお滝とお桐は村の子供たちと寺小屋へ行き、タカベはメギに連れられて山へ入った。山から木を切り出す作業を手伝うのだ。
 四人組で一本の木を切り倒していく。それはタカベが十代の頃に父親や村の人たちに混ざってやっていたことだった。しかし木の伐採を嫌う兄カブトが港で船乗りの手伝いをするようになり、「海はいいぞ、おまえも来い」と誘われて船の仕事をするようになった。
 昔のように木を切り出していると、また兄ちゃんが来て「タカベ、お前何してるんだ。海へ来い」と誘いに来るような気がする。そんな日がいつか来るかもしれない。希望ともいえる期待が胸の奥で転がり始めた。
 昼過ぎに家へ戻るとハモがいた。新しいむしろや大きな鍋を持って「どないや。足りんもんあるか?」と家の中を見回している。
 湯を沸かすだけの小さな鍋しかなかったので、粥を作れる大きな鍋は助かる。「ありがとう」とタカベが銭を渡そうとすると、
「ええねん、ダッさんから貰っとんねん。タカベエの世話したりて頼まれてん」
 ダツはタカベが払った子供の船賃をハモに渡していたのだ。銭を突っ返されるより、こうして必要なものを用意してもらえる方がどれほどありがたいか。このあと一年間、季節が変わるごとに「これいるやろ」とハモはタカベ家族に何かしら持って来てくれた。こんなんだからタカベが雑賀へ来て困ることなどなかった。
 子供たちは寺小屋で字を習ってくる。それはタカベにはうらやましくもあり喜ばしいことだった。字など習ったことのないタカベは船頭をするようになった時、字を読めないことでほとほと困った。荷を誤魔化されたり銭を騙し取られたりしたのだ。必死に字を覚えたあの苦労を子供たちがすることはないのだと思うと、雑賀へ来て本当に良かったと思える。
 最初の心配はどこへやら、すんなりと溶け込めた雑賀の村でタカベは毎日を淡々とのどかに暮らしていた。
 三年が経った時、浜辺で木材を組み立てて船を作る作業を手伝うことになった。また山ではなく海へ通う日々が始まった。否応なしに海を行く船が目に入る。海へ出ていく船は眩しくて、陽気に浜を歩き回る船乗りたちを見ると、くさくさした気分になるのだ。浜に居座る自分がみじめに思える。そんなタカベに娘たちは「いつ浦賀へ帰るの?」と訊いてくるものだから、苛立って「昔のことは忘れろ」と声を荒げるようになった。
 娘たちは寺小屋が終わるとハモの家へ行ったり畑で野菜の世話をしたりして楽しくやっているはずなのに、日が暮れて寝かけた頃に不意に枕もとで「村へ帰りたい」と言ってくるのだ。「村はここだ。ここが村だ」と言ってもことあるごとに「浦賀へ帰りたい」と言い出すのだ。
 浜に入ると相模の話も聞こえてくる。今も相模の混乱は続いているしもっとひどくなっている。今川義元が死んだことで武田と今川の関係が悪化し同盟が破綻していき、武田と北条の同盟も有形無実と帰していく。あの穏やかな相模は底なしに崩れ去っていく。帰ることなどできない。それどころか帰る必要などないほどに雑賀の暮らしは満ち足りている。ここに腰を据えて生きていくのだと、自分に言い聞かせるタカベであったが、村の人たちが嫁を世話しようとしても頑なに断った。おふみが畑の野菜を見に来たり、娘たちの世話もしに来るのだが、タカベは三人で生きていくのだと心に決めている。
 晴れない心で船作りをして二年が経ったとき、度肝を抜くことを聞いた。お滝が港の宿屋に入り浸っているというのだ。寺小屋へも行かず朝から宿へ出入りをしていると。
 十四歳になったお滝はますますお網に似てきている。まだまだ子どもだが体は女へと着実に成長してきている。宿で一体何をしているのか。タカベの心に激しく高波が立った。

つづく


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