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有明海からの流れ者である与兵衛を見張っているのは天草藩の役人、源蔵である。夜明けの光に目を覚ました源蔵は与兵衛を見て仰天した。十日間も飲まず食わずでこのまま死んでしまうだろうと思っていたのに、憔悴して俯いたまま動かなかった与兵衛が目を開けて空を見ているのだ。子どもの頃に婆ちゃんから聞いた鬼が今目の前にいるのかもしれぬと、源蔵の背筋は凍り付いた。
海に面した高台で木に縛りつけられた与兵衛は、幾日も海風に吹かれて過ごした。 隣の木の下に座り込んだ役人に、 「口を割らぬか。死んでしまうと。話せば解いてやると言うとっと。」 と何度言われようと、与兵衛は原城のことを話さなかった。 全部で何人いるのか? どこに誰がいるのか? 益田四郎はどこにいるのか?
夜皆が寝静まると与兵衛たちは海へ潜った。有明海を二里半(10km)泳げば天草に着く。皆の食料の為にと女たちが海藻を採った時、妻のお柿は誰よりもたくさん採った。泳ぎが得意なのだ。そんなお柿なら十分泳いで渡れる距離だから安心して三人で海を渡り始めた。
原城は有明海に突き出していて三方を海に囲まれている。南北に十二町(約1.5km)、東西に五町(約500m)の巨大な敷地だ。出身の村ごとに本丸、二の丸、三の丸を守衛場所として割り当てられて、指揮者である元武士の統率に従いそこに住んだから、いくつもの集落が突如現れて大きな村を作ったかのようであった。
六一郎がいなくなったことをまるで息子を失ったように悲しんだ男が、六郎太のほかにもう一人いた。それは隣の村の与兵衛である。齢五十であるが、その風貌は七十に見えるほどに老け込んでいる。この数年の出来事が与兵衛をそうさせたのだ。何を隠そう、与兵衛は切支丹で島原の乱では原城にたてこもった一人だ。原城は乱の最後に切支丹たちが籠城した城で、有明海を挟んで天草の向こう側にある。なぜ与兵衛が有明海を渡ってまで籠城することになったのか。
深くイエス・キリストに心酔する松之助であったが、懸念もあった。あの集まりに一緒に行った五人のうち二人は同じ村の者だったのだ。それに加えて村は違うが埋め立て作業で見たことのある者が一人いた。
天草で大変身を遂げていく猿彦。早朝のまだ明け切らない暗闇を寺へと通い、日中は黙々と農作業に邁進し、夕刻の空が赤くなる頃にはまた寺への坂道を歩いた。