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【73】わたしは生きてるよ。

人前で、しかも最寄り駅で歌う、をやってみてから一週間。

なんで?って。
嫌だけど絶対怖いけど嫌だけど、やったら泣けるほど嬉しいし楽しいとわかった。意味もなく、ただ、やりたいからやってる。
わたしは自分の人生、何が起こるか予測不可能ワクワクおもしろコースの方を選びたいから。そこは絶対ゆずらない。怖かろうが何だろうが、意地でも。暇すぎて刺激がなくて一人孤独で死んだように生きるのは、もう10代に散々やってきたから。

初めてのその日は、もう、のたうちまわるほど嫌で嫌でたまらなく、抵抗が激しすぎて体温が下がるほどだった。でも、やらないという選択肢はもはやなく、とにかくやって、逃げ帰ってきたけれど。。。そのあとは何だ。何という達成感と充足感。未体験の領域の嬉しさ。こんなにも意味ないし誰にも頼まれてないし、他人からみたらわけわからないことで、こんなにも嬉しいのか。この、質量たるや、想像以上。そして、体の芯がポカポカ。

その後も、毎日試みるが勇気がでなくて帰ってきたり、意を決してようやく歌えたり。1日あいたり2日あいたりしながら、娘と一緒に歌ったり一人で歌ったり、場所を変えたり自転車で走りながらとか公園でとかあれこれやっている。さんざんモヤモヤぐるぐるもしましたよ。

もう、心が動きまくりだ!試みて断念したり、意を決したり、また迷ったり、急にまた意識した瞬間怖くなったり、ほんとに心が動きまくりだ!
「恐怖心」のあるおかげでこんなにもすごいアトラクションになるなんて。しかも、無料ですよ。でも、みんなやらないよね。やらないのがよくわかる。こんなにも怖いもん。

知人のお宅におじゃましたら、SNSで投稿していたけど何か変なことをはじめたらしいと興味をもってくれて、なぜだか喋ることになった。すごいすごいと言われ、うーん、と戸惑い。
全貌をしゃべりたい衝動にかられるけど、上手く言葉にできず、これ、全然伝わらないだろうなぁ、誤解されてるだろうなぁ、だってやってみないと本当に頭ではわからないたぐいのことだしなぁと思う。


今日は一人で駅のいつもの場所に向かう。数日前から、一気にあちこちの庭先のハナミズキが咲きだしたので、「ハナミズキ」を歌っている。(その前は、「おぼろ月夜」「燦~Cocco」歌ってたよ)曲のチョイスも楽しくなってきた。
駐車場に車をとめて、いつもの場所までの道すがら、雑草がたくさん生えていて、それもわたしの萌えポイント。キュウリ草に、ウマゴヤシ。しゃがんでのぞくと、雑草マニアの血が騒ぐーー。さらに、スーパーの裏も通るので、リズムよくカラフルな雑巾やモップが干してあり、ちょっと音楽のようで心躍る。

着くと、リュックをおろして、もし誰か来てくれたときに配るチラシを一応出して、おもちゃのマイクを取り出す。
そんで、おもむろに歌いだす。(おもちゃのマイクですから、実際アカペラ(笑))
このときが、一番怖い。淡々と粛々とやるしかない。頭の自分をあけわたす。降伏するように。
はじめは通行人がたくさん通る方を見れなくて空ばかり見上げていたが、若干見回したり、目があったら恥ずかしーを味わいながらニッコリなどしてみれるようになった。
「ハナミズキ」の歌詞の「どうか来てほしい、水際まできてほしい♪」のところで、女性が横切って会釈してくれたのでびっくりした。
曲を歌いきったら、すごく嬉しくて、若干ルンルンしつつ帰る。


帰り道、ドバーーーっと気持ちがあふれて泣きそうになった。

今、この瞬間に、自分のありたいそのまんまの姿で世界にいられた。そのことの喜び。
一瞬見てもらえて、ほほえんでもらえて、存在しているって思ってもらえた喜び。(ああ、わたし、小さいころから存在感がなく喋らなかったので、そこにいても、いないように扱われる経験が多かった。だから、そこんとこ、本当に沁みる。)

そう、先日作ってもらったチラシの真ん中には、わたしの写真にふきだしで「わたしは生きてるよ」って書いてあった。



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