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ただただ、泣いてみたい。

ただただ、やってみたいと湧いてきたことを、やってみる、に集中しだして今日で27日目。自分と真摯に向き合っている姿にウルウルしたとか、羽がはえたようだねとメッセージをもらい、人からみるとそういうふうにうつるのだなぁと、ちょっと戸惑いながらも嬉しくかみしめている。

今日はお外でピクニックしている家族連れがたくさんいるほど、
あったかい1日だった。娘と散々外遊びを楽しんだ。そして、すぐに娘といると始終傍観者になってしまう自分(悪くないし見守るのも大事なのだけど、そればかりだと自分が楽しくない)なので、それを崩すように一緒に同じ目線で物事を見る遊びをしてみたり、わたしも飛んだり跳ねたりした。


今日は、【私にとって大事な感覚だ】と握りしめているものを書いてみようと思う。

娘は、生まれつき人とは違う心臓のつくりをしている、先天性心疾患である。生まれたときから入院生活で、生後10ヶ月ではじめて家に帰ることができた。

その間には、辛かったこと、嬉しかったこと、本当にいろいろあったけれど、なかでも強烈だったことがある。

生後1ヶ月ぐらいまでは本当に病状が深刻で、日に日に悪化をたどり、お別れの覚悟もしたのだけれど、彼女は生きることを選んでくれた。しかし、その後も順調と見えて、やはり不安要素が出てきたりと一進一退で、本当に気の遠くなるような高度な管理のもと(医療スタッフの方々には頭が下がる)一向に集中治療室から出られない日々が続いた。面会時間が決められており、毎日1時間~2時間出会うだけだった。その間も、娘はほとんど眠っていた。

成長に伴って、起きている時間も長くなり、赤ちゃんとはそういうものなのだろうけど、わたしは1日1時間しか見れないから一向にそのリズムなどよくわからなかった。
たまに、起きている時間に遭遇するのだけど、起きてきて少し息が荒くなったり、少し長く泣くと呼吸がしんどくなるため、すぐに眠るお薬が投与されるのだった。
これは、治療上で必要なこととはわかっていた。今の娘には、必要なことだとわかるけれど、赤ちゃんにとっての仕事である泣くことや、起きていろんな刺激を受けることが、強制的にシャットダウンされることは、考えただけでぎゅうっと体が締め付けられるようだった。
目の前で薬が投与されてしばらくすると、また娘は安らかな顔で平坦になるのだった。

薬で意識が混濁している状態と、はっきり起きた状態はこんなかんじ、とわかるようになったのはそののちのことで、それほど生後ずっと娘は夢の中にいたので、旦那さんとわたしは『眠り姫』と呼んでいた。

病状や段階によっても違うが、心臓病で人工血管を入れている子どもにとって、『泣く』ことは、いつ血管が詰まるかわからない危険と隣り合わせなのだ。のちのち入院の付き添いができるようになってから、泣きこまないように注意してと言われていたけれど、そんなん子どもにとって仕事だし無理じゃん!っていつも思っていた。
それ以前に、娘は声が出ない。泣いても本当にか細い声の状態が長かった。それは泣く体力もない、声帯も発達していないからだった。泣くひとつをとっても、すごい力の結集なのだ。

いのちの発露を強制的に奪われること。そのこと対する耐え難い苦痛。

娘は今2歳半、走りたいときに走り、歌いたいときに歌い、元気いっぱいだ。そして、今、あらゆる概念を吸収し、構築していっているのがわかる。え、こんなこともいつの間に知ってたの?とこっちが驚く毎日だ。
やりたいことをやりたいように思う存分すること、親だからこその、それを体験させてあげる難しさ。皮肉にも、娘のそれを無意識にシャットダウンするのは、今は薬ではなく親のわたし。わたしは、自分のそれを今取り戻すことに毎日チャレンジしていながら、娘のそれは全然気にもとめていなかった!

はっきりした答えなんてすぐにわかるわけもない。
けれど、わたしたちは対極を知っている、一度奪われることの豊かさも知っている。

ただただ、泣いてみたい。ただただ、外の世界が見てみたい。ただただ、声を出してみたい。ただただ、手足を動かしたい。
思う存分、それをすること。

逆もまたしかり

ただただ、不自由を味わってみたい。ただただ、動けないを体験したい。ただただ・・・

となるのだろうか。
この感覚は、自分にとってすごく大事な気がして、やっぱり握りしめている。

(27日目/1000)

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