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「同時代」(『このあいだ』第5号 2021/2)

 明日は雨になるかもしれない、だから
 ぼくは太陽を追っていく
 ビートルズ「アイル・フォロー・ザ・サン」

 ぼくが生まれたのはジョン・レノンの没年で、年齢はそのままレノン没後X年になる。高校生の頃は自分がレノンの生まれ変わりだったらと夢想したこともあったが、残念ながらぼくは彼が凶弾に倒れる半年前に生まれてしまった。
 今ぼくが天才と崇めるのはマッカートニーの方で、レノンはもっと自分たちに近い存在に感じられるようになったが、それはマッカートニーの書いた、天の羽衣さながらどこに縫い目があるのかわからない音楽への賛嘆のためでもあろうけれど、現世への彼の輝く真鍮のような肯定感に、けして自分には届き得ないコート掛けを見つめるからだと思う。ぼくには聖パウロよりはるかに重要な人物がまだ存命であること、しかもこのコロナ禍の同じ時代を生きているということがとても信じられない。もっとも、自分の腰から出た子らが今隣室に眠っているということもまた、到底理解することのできない神秘なのだけれど。

 きょう、取引先にかけた電話の保留音がグリーンスリーヴスで、なぜよりによって電話口でこの美しくはあるけれど物悲しい旋律を聴かされるのかと訝しんだ。電話の向こうには色んな人がいるので、応対する前に先方の情熱は鎮火せねばならないのかもしれない。しかしたっぷりワンコーラス分は保留音を聞かされている間に思ったのは、恋人につれない態度をとり続けるグリーンスリーヴスの姿。

 ああ、グリーンスリーブス、今はお別れだ、さようなら
 神に祈ろう、君の繁栄を
 わたしはなおもきみの真の恋人
 もう一度、おいで、そしてわたしを愛してくれ

 中学生の頃、ぼくはビートルズ以外のポピュラー音楽を 一切認めなかった。小学6年の時に遅まきながらJーPOPに目覚めたが、通信教材で「キャント・バイ・ミー・ラヴ」を聴くまでわずか1年ほど。そこから一切の世俗の歌を否定する変節ぶりでビートルズの音楽に夢中になった。

 ちょうどプロデューサー小室哲哉氏の全盛期だった。ぼくは妹がテレビでミュージックステーションを見ている横で、出てくるアーティストとその音楽の悉くを貶し続けた。ぼくには小室氏の音楽がぎりぎり合法的な金儲けくらいにしか思えなかったし、歌詞もそれを着て歩くには恥ずかしいTシャツのプリント程度に思っていた。

 思い返せばそれは妹にはとてもひどい仕打ちだった。ぼくは共に生きる同時代に唾を吐きかけていたのだ。

 ぼくの趣味は友人たちに理解されなかった。「ビートルズ? なんでそんなダサいのを聴いてるん?」。これが通常の反応で、校則違反にならない範囲での私のマッシュルームカットは「かつら」と揶揄された。なぜ当時のぼくが自分の趣味の秘密を周囲に語ったのか理解できない。(都合よく)記憶にないだけかもしれないが、妹だけでなく、小室哲哉を聴く人間は誰彼の区別なく罵っていたのかもしれない。だからあいつはビートルマニアだと後ろ指を差される羽目になったのではないか。

 そんなぼくだったが、同級生から3度ほど、ビートルズ の話題で歩み寄られたことがある。

 K岡くんは「ビートルズの曲っていいんやけど、短か 過ぎへん?」と言った。私はなんと答えたか覚えていな いけれど、「いまどきの曲が無駄に長いだけ」と内心反発していたと思う。

 2人目はクラスの女子だった。どういう経緯でそう なったのかわからないが、ビートルズの曲を集めたコンピレーションを貸してくれた。ところが自分の記憶にあるのは、そのCDに収録されていた「自分がまだ知らなかった曲」のリストだけだ。ジョンが書いた「イッツ・オンリー・ラヴ」やジョージの初期の名曲「アイ・ニード・ユー」があった。「レイン」には興奮を覚えた。ちゃんと数日後に返却したのは覚えているが、ビートルズの話題も含めて何も発展しなかった。

 3人目は私を「かつら」と呼び始めた張本人、ちびのS竹くんだった。彼が学校の帰り道、何を思ったか知らないが、「P.S.アイ・ラヴ・ユーっていう曲、いいよな」と言ったのである。しかしぼくはもっと他にいい曲があると思ったので、「いや、あれはそんなに・・・」云々と返答した。するとS竹くんはさっと顔を曇らせて、
「死ねよ」
と言った。

 思い起こしながら、ぼくは後悔と寂しさの涙に濡れる。ひょっとすると、自分は愛されていたのではなかったか。そうでなければ誰が、変わり者のぼくの関心を引くような話題で話しかけてくれよう。ぼくは理解されないと思っていた。ぼくは間違えた時代に生まれてきたと思っていた。それなのに、彼らは「いまここ」にいるぼくを目がけて、歴史を引用しながら語りかけてくれたのだ。手指消毒用のアルコールが到るところに置かれている昨今だが、「手を差し伸べる」というのは、あんな風に自然に触れてくれることなのかと改めて知る。ぼくはぼくの同時代人と共に生きる世界にしか生き得ないのに、どこへ行こうとして自分の時代に背を向けていたのだろう。

 去年も暮れに近づく頃、ぼくも家族と一緒に『鬼滅の刃』に夢中になった。LISAの「紅蓮華」も「ほむら」も好んで聴く。ぼくはやっと自分の生きる時代に追いついたのだろうか。とすれば中学の同級生たちはもっと先に行っていようか。けれどぼくには逆に、自分の言葉と態度で彼らを置き去りにしてきてしまったような疼きがある。昼の電話の保留音の記憶に、夜になっても引きずられているのかもしれないけれど、胸が痛むのである。

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