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今日を大事に生き抜いて(043)

こんにちは、紺野うみです。

世の中全体が、どんどんナーバスになっていく時というのは確かにあって。

テレビをつけても、SNSを開いても、悲愴感を背負った内容が全体を支配していますね。

でも、こんなときだからこそ、本当に小さくても愛おしい「何気ないこと」に目を向けてみる。



何気ない輝きを見つける

昨日、テレビもつけずに好きな音楽をかけながら、家にあるもので素朴な和食メニューのご飯を作ったのですが、心は穏やかだったし、食べたご飯は高級料理じゃなくてもとても美味しいと思いました。

そんなことが、幸せのひとつに成り得るんですよね。

今の生活で、できることの中にある輝き。

それを、こんな時だからこそ拾い集められる心を、皆が持ち続けられたらいいなと思います。

今はきっと、病から命を守る闘いにおける恐怖ですが、近い将来は経済危機によって金銭的に追い詰められ、心の余裕を失っていく人が増えていくのではないでしょうか。

でも、それに向けて備えておく意味でも、小さな幸せに気がつける心を忘れずにいたいですよね。


幸せを掬い上げる網の話

私がよく思うことなんですが、人は心に、誰しも「網」を持っていると思うんです。

その網っていうのが、それぞれの人にとっての「幸せ」を掬っていくんだけど、その網目がものすごく大きい人は「とんでもなくどでかい幸福」以外、小さなものは隙間からこぼれていってしまう。

つまり幸せを感じるハードルが、ものすごく高い状態になってしまっているので、なかなか「幸福」を感じることに出会わないわけです。

そして「私のところには、なかなか幸せがやってこない。このあたりの水がよくないんじゃないか。誰か他の人が奪っていってるんじゃないか」みたいに、いつもイライラしてしまう。

反対に、網目がものすごく細かい人は「ほんのささやかな幸福」ですら、ちゃんと掬い上げることができるから、大きな幸せはもちろんだけど小さな砂粒みたいな幸せで心は満たされていくわけです。

そして「今日はこんないいことがあった、ありがたい。皆にもいいことがあるといいな。明日もいいことがあるように、がんばろう」と、手の中にある幸せを栄養に生きていける。

何年か生きていれば解ると思うのですが、どでかい網で掬えるレベルのものすごい幸福なんて、そうそう現れるわけじゃないですよね。

むしろ、「どれだけ小さな幸せ」を拾い集められるかが、真の幸福な人になれるか否かの分かれ目なんだろうと思います。


一日の終わりにすべきこと

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