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魂が得るべきもの(031)

こんにちは、紺野うみです。

きっと皆さんも、これまでの人生で何度も感じてきたことでしょう。

この世は、決して「天国」なんかじゃない……と。

そう。

この世は「綺麗なだけの場所」ではない。

だからこそ、その痛みや苦しみに「何を見出すか」が大切なのだと思うのです。

今回は、辛いときや苦しいときこそそれを思い出せる人でいたいから、こんなお話を取り上げていくことにしました。


この世には「痛み」がある

私たちが生きてくる中で、これまでずっと「幸福な時間」しか味わってこなかった人も、「素敵な人」にしか出会わなかった人も、絶対に居ないはずです。

程度・レベル・割合に個人差こそあれ、痛みや苦しみを味わう瞬間が、きっとあったはず。

そういう「痛み」のひとときに遭遇したとき、多くの人は「どうして私がこんな目に」「神様は意地悪だ」などと、形の掴めない存在に向かって恨みを抱くこともありますよね。

でも、そもそも神様や仏様などの目には見えない存在が「心やさしい」と言うのなら、私たちに「苦しみを与えるのはおかしい」と思うかもしれません。

この世も善人だけの暮らす世界にして、幸せなことしか起こらない状態にすることも、できたんじゃないかと。

私たちに命を与えてくださる存在なら、確かにそれもできるような感じがしますよね。

でも、私は「やさしいからこそ、この世には痛みがある」んじゃないかって、思うんです。


なぜ「痛み」が存在するのか

そう、たぶんこの世にあるのは「あえての痛み」なのではないでしょうか?

そこで考えるべきは、「なぜ、この世には痛みや苦しみが存在するのか?」ということについて。

私が確信しているのは、「痛みなくしては学べないこと」があるから、それが存在する「この世」に、たくさんの魂が「留学」に来ているんじゃないかってことです。

本格的な英語を学ぶために、一番有効な手段と言えば、まさしく「英語圏への留学」ですよね。

自分の身を持って、実践的な学びを繰り返すために、私たちはわざわざ留学をして英語を身につけることがあります。

同じように、未熟な魂にとっては、この世にやってきて「苦難」「困難」「痛み」「苦しみ」に触れることこそが、まさしく留学のように貴重な「生きた学びの場」になっているのではないか……。

そんな風に思うのです。

人から突然傷つけられたり、時には自分が人を傷つけて後悔したり、誰も悪くないのに思いがけない災難に見舞われたり、誰かを恨みたくなるようなことがあっても恨まぬ心を求められたり。

こういったことに、私たちは苦しみながらも立ち向かい、それを乗り越えていくことを繰り返して生きています。

この世の役割を想えば、きっと私たちの魂にとって「痛み」は必須なのではないでしょうか。


立ち向かう術は「痛み」の意味を探ること

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