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神様からの眼差し(039)

こんにちは、紺野うみです。

これを言うといつも「意外だ」と驚かれてしまうのですが、私の「巫女」歴はまだ2年と少し。

そう。あれだけ濃厚な記事や神社愛を語りつつ、その歴で言うと、まだまだ片足程度の若輩者なのです。笑

神社に興味を抱いて、神道の奥深さに魅了されて、神様の愛情に気がついて……。

心に炎が燃え始めると同時に、ありがたいことに、学びを深めるきっかけや環境に恵まれたことも幸いしました。

そこから一気に、私なりの情熱的な愛情を注いできたので、実のところ「期間」で考えると、さほど経ってはいないのです。

でも、こればっかりは「年月」だけで測れないものが、胸の中に出来上がりつつあるのを自分自身でも感じています。

それだけ、この数年は濃厚な時間の積み重ねでした。

そんな私が、今を生きる上で大切にしている価値観は、多分これに尽きると思うんです。

かつては、人の顔色ばかり見ていた私が、神様の存在を強く意識するようになってからは、なによりも「神様からの眼差し」を考えるようになりました。

この気持ちや考え方は、ぜひ多くの方に知っていただきたいし、可能なら試してみていただきたいです。

きっと、生きることへの勇気が湧いて、その心を支える軸になってくれるはずだから……。


「他人の眼差し」を優先すれば臆病になる

かつての私は、とにかく自分に自信が持てなかったものですから、常に人からの評価の中に自分を見出そうとジタバタしていたように思います。

人から自分がどう思われているのかを考えると、いつもそわそわと落ち着かない気分でしたし、誰からも「良い人」であらねばとするあまり、心の内側ではコミュニケーションに疲弊していました。

優等生、いい子でいるために、いつだって自分自身の素直な心を、鎖でしばりつけていましたっけ……。

自分の評価はいつだって、他人の手に握られています。

相性のいい人や、私を認めてくれる人からは、もちろん愛情をもらえました。

でも、私自身もまだまだ未熟な人間でしたから、できないことも足りないことも多かった。

その部分を誰かに見つかって、否定されるのではないか、存在意義を揺るがされるのではないか、という恐怖はいつだってありました。

その臆病さは、もちろん自覚がありましたし、自信を持てない自分に嫌気がさしていたことだってあります。

でもどうしても、私はその場所から抜け出せずにいました。

社会人になってからも、しばらくの間はそのまま突っ走り続けていたのですが……。

私の場合はそれまで「自分の世界のすべて」だと思いこんでいた会社を飛び出したことをきっかけに、その鎖を断ち切ることに成功したんです。


「自分の眼差し」を優先すれば傲慢になる

また、次のフェーズで出会ったのは、「自分の視点」以外をことごとく排除しているがために、人を無意識に苦しめてしまう人でした。

一切の「悪気」なく、ただ自分本位に生きているその人を間近で見て。

さらに、その人に苦しめられている人を間近で見て。

そうしているうちに、思ったんです。

あぁ、他人の視点だけでは人は臆病になるけれど、自分の視点だけになってしまえば、人は傲慢になって他人を苦しめてしまうことがあるんだな……と。

幸いなことに、それ以前の環境で、すでに精神的に辛い境地を脱することができていた私でしたから。

その時は、どこか客観的にそんな分析ができるようになっていたので、その渦にはさほど心を深く巻きこまれずに済んでいたように感じます。

ただ、その状況を目の当たりにしたことによる学びは、本当に得難い経験でした。

そこで、私は「他人」と「自分」の視点のバランス感覚がいかに難しいか……ということを想ったんですよね。


「神様の眼差し」を優先すれば勇気になる

それでも、その後「自分の人生については自分の責任なのだから、自分自身の視点を優先させるべき」という結論にたどり着いて、私は自分の心に従ってライターという道を選びました。

やがて、その頃に「神社」や「神道」の世界に出会い、巫女の世界にも足を踏み入れたというわけです。

その世界を深めるうちに、私はやっと自分なりに「生き方の指針」を見つけることができたんですよね。

「他人だけの眼差し」ばかりでもなく。

「自分だけの眼差し」ばかりでもなく。

「神様からの眼差し」を、意識すれば、そうそう生き方を迷うことがないと。

どんなときだって、「神様が見てる」「お天道さまが見てる」と思えば、自分の行動は定まったし、その一歩にも「恥じない自分」でいることができます。

たとえ、自分のする善いことを、誰か「人」が見ていなくたって、「評価されない」なんて嘆くことは無くなりました。

だって、その行為は世の中や神様に対しての「お供え」みたいなものであって、目に見える評価やお金や物よりも、何倍も素敵な「徳」を積むことなんですから。

たとえ、自分のする悪いことを、誰か「人」が見ていなくたって、「そんなことをするのは恥だし、神様をガッカリさせる」と思えば律することができます。

だって、その行為は自分の魂を汚すことだし、どんな悪いことも因果応報で、やがては自分自身の人生に返ってくるものだとわかりますから。


生きることが「希望」になる

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