結ばれるものたち(109)

こんにちは、紺野うみです。

これは私の話になりますけれど、神社が好きになって、たくさんの神様とのご縁をいただくようになって、巫女としての奉職まではじめてみて……。

思えば「神様」「人」「物事」など——さまざまな「ご縁」に恵まれて、ここまで運ばれたきたものだなぁと思います。しみじみと。

その一つひとつに意味があるのだと、本当に理解できるようになったのも、神道の世界に飛び込んでからでした。

すべては、自分の与り知らぬところで結ばれてゆく、不思議な「縁」の結果たち……。

それを真っ直ぐに受け止めてこそ、見えてくるものがあります。

今日はそんなお話を。


悪縁からは学びを

人は誰だって、「良い出会い」を欲しているものです。厳密には、「自分にとって都合の良い出会い」――とも言えるかもしれません。

つまり、できる限り厄介な相手や関わりたくないような存在とは、遭遇しないことを願っています。

そりゃそうですよね、そういうご縁との関わりは、心身を削ってゆく場合が多いですから。

でも……、私たちは完璧にそれらを避けて通ることはできません。

この世の中には、どうやったって相容れない人、価値観の異なる人、意地悪で残酷な人が存在しているものですから。

「じゃあ、その中でも自分を守り抜いて生きてゆくには、どうすればいいの?」と、思いますよね。

もし、あなたにとって「最悪に思える出会い」があったとしても、それを「不運」と捉えて呪う必要はありません。

そこにも「何かしらの意味」があるということを、しっかりと頭においておけばいいのです。

その出会いが、必要な学びを与えてあなたを成長させたり、新しい価値観を与えて視野を広げるきっかけになったりもするはず。

最初からその「正体」を見極めるように、脳内のスイッチを切り替えてしまえば、心は楽でいられます。

自分の運命を呪ったりしても事態が変わるわけではありませんし、どうせならそこから脱する(卒業する)方法について、早めに考え始めた方がいいですよね。

私自身も、過去の経験から理解したんですよね。

どんなに辛く苦しい「学び」であっても、ちゃんと必要な分を受け止めることから逃げなければ、いつかその苦難からは「卒業」する日がくるということ……。

その渦中にいる時は、なかなか気づくことが難しいものではあるのですが、頭の片隅にでも「この出会いにも意味がある」という事実があれば、立ち向かい乗り越えてゆくための勇気が出るというものです。

翻弄されるだけでなく、なるべく冷静に、自分が得るべきものについてを考えていくようにしましょう。


良縁からは刺激を

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